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海を教えてくれた人

『人間は昔海だった』というタイトルの曲を数年前につくろうとしたことがある。結局は未完のままそのへんにほっぽり出されているのだけど、海へ行くたびにそのフレーズが頭をよぎる。すべての生物の起源、海。母なる存在、海。

物事を多面的に捉えたり一旦距離を置いて遠くから見たりすると、わからなかった物事の輪郭がなんとなくわかってくることがある。それは自分自身においてもそうで、「もしかしたらこういうことなんじゃないか?」っていう仮説を立てて考えるとあーら不思議、「そんなもんか」とすごく気が楽になったりする。

宮崎県の片田舎、現小林市、旧西諸県郡須木村という村の奥深い山間部で生まれ育ったぼくはまるで海に縁がなかった。
と言っても外側の人からすると「宮崎=南国」というイメージが強いらしく、「温暖な気候で人もおだやかそう」と言われることが多いんだけど、それはよく映像で見る街路でヤシの木(フェニックス)が風に揺れてる様や青島海岸などの風景がテレビなんかで流れるからだろうと思うんだけど、個人的に調べたデータによると、宮崎県の森林の占める割合は76%もあるそう。メディアの力ってすげえ。

しかもぼくの育った山間部は山々が切り立っていて割と急峻な地形だ。それも場所によるけど、ぼくの中での山のイメージというと、急で針葉樹がびっしりと並んでいて暗くて鬱蒼としていて怖い、という感じが強い。
人柄に関しても、勿論おおらかな人もいるけど、そこで生きていく厳しさみたいなものが滲み出ている気がする、ある種の暗さとか侘びしさみたいなもの。どこか東北を感じる部分があるんすよね、底抜けに陽気とかではない素朴さというか。

そういうのって一旦引いて見てみないと近すぎて逆に見えないって部分がやはりあって、それを知ってか知らずか東京にふらふらーっと出てきたぼくには、そこにいるだけでは気づけない側面というのが見えてきた。

もちろん宮崎の海にも何度か行ったことある。中学の頃サザンが好きになり、サザンのミックステープを作ってそれをかけながら母親の運転で幼なじみ数人と青島海岸で泳いだ。ザ・南国宮崎って風景。
それに中・高でやっていたテニス部の県大会は木花という、巨人軍のキャンプ地の隣にある場所で、そこは海が目と鼻の先にあったので、高校の時なんかは出場せず応援のみだったこともあって途中で友達数人と制服のまま抜け出して泳いだこともある。カラッとした太陽のまち、宮崎。そのイメージとは
対極に日陰の部分もある、宮崎。

今年に入って「海」というものに意識が向く機会が増えた。まず5月に三重へ訪れた事。三重に住んでる友達家族と一緒に那智勝浦までの海沿いの道をドライブしてまわった体験がとても大きくて、あの時は本当に何かに引き寄せられてるみたいだった。生きてる純度が近い人といると、何年ぶりに会ったかなんて関係なくて、まるで昨日も会ったみたいに話をした。


那智勝浦で立ち寄った居酒屋で唐突に「自分にとってのごちそうって何だと思う?私はやっぱり海の幸(魚介)なんだよね〜」と言われ、自分にとってのごちそう、か、う〜ん、、、。山菜、か?ぼくは何も答えられずにだんまり唸ってしまった。そんなことより満面の笑みで心から海の幸と言える友達が羨ましかった。翌朝、那智勝浦の漁港沿いの駐車場で車中泊したぼくは漁から戻ってきた船の音で目が覚め、漁獲したマグロが吊られて並べられていく光景を目の当たりにした。朝日の登る前のひととき、自分の知らないこんな世界、こんな生活があるのかと新鮮だった。

そこから完全にパッカーンと開いてしまったぼくは、南方熊楠記念館のある和歌山県白浜町へ行く道中の海沿いの道で気になった植物を発見しては車を停めては写真を撮る、という行為を繰り返しまくっていた。

それはある種、普段いかに仕事漬けの毎日の中で限定された行動範囲で生活が繰り返されているかってことの現れでもあったし、それだけ抑圧されて疲れていたものが一気に解放されたかってことでもある。週に5、6日働いていれば脳は完全に仕事脳になる。ぼくの場合はまだ自分にとってやりがいがあるし基本自然と向き合う仕事だからいいんだけど、それでも三重・和歌山から帰ってきた直後はさすがにロス状態になった。こんな日々が毎日だったらいいのになと本気で思った。

季節は過ぎ、夏になった。
7月の終わり、ひとりで鎌倉へ行った。その前の日にコンビニの雑誌で立ち読みした切通し(きりとおし。鎌倉時代に物資運搬の為に山を削ってつくられた道)が見てみたかったからだ。未だに生活道路として自転車や歩行者が利用しているが、古道の趣があって静かでよかった。

切通しを歩いた流れで、長谷寺のある長谷駅を過ぎて、海へ出た。そこはちょうど海水浴場の端の方で、サーファーがたくさんいた。たまにテレビでやってる大家族に密着する番組で出てきそうな恰幅のいい母親とその娘がそれぞれサーフボード片手に歩いてる姿が印象的だった。この街ではサーフィンという行為が日常に組み込まれてんのか〜、っていうくらい当たり前の空気感だった。 

その翌週。今度は友達とバイクで茅ヶ崎から三浦半島へツーリングした。道中、おなじみの湘南・江ノ島・鎌倉あたりのビーチはまさに芋洗い状態だったけど、葉山を抜け横須賀から南下して行ったあたりから景色は一気に変わり、だだっ広い農地が広がる穏やかな田舎の風景になった。超意外。なんだこの温かみのある地域は、と思った。東京からもそんな遠くないのに、こんな素朴な景色が見れるなんて。
三崎漁港で有名な三浦市。さらにそこから橋を渡ると、三浦半島の最南端、城ヶ島へとたどり着いた。こんな場所があるなんてまったく知らなかった。素朴な港町と、土産物屋さん。そこはほんとに知る人ぞ知るって感じで、人もちらほら。着いてほどなくして食堂に入る。だだっ広い空間にテーブルが並べられていて、開け放たれたガラス戸から流れてくる海風が心地よかった。
海へ出るとそこはでこぼこした岩場になっていて、無料で開放されていることもあって人々が思い思いに夏を楽しんでいた。バーベキューする若い人達。日除けテントを出して寝っ転がってる人。流れのない小さな入り江で子供を泳がせてる家族。釣りしてるおっさん。うーん、ゆるい。なんてゆるい時間と空間なんだ。そのゆるゆるな空間にたまらなく愛着が湧いた。

そして先日、友達のよーくんと軽バンで高速ぶっ飛ばして房総半島の方へと行った。千葉の海なんてほぼ初めてだった。ちょっと前に職場の先輩が家族で千葉の海水浴場で泳いだら、神奈川の方に比べて人も少ないし、なにより海水が綺麗でとてもよかったと教えてくれた。それなら一度行ってみようかと。
当初の目的はよーくんが行きたがっていた、館山にあるむかし寿司という江戸時代に屋台なんかで出していたままの大きなサイズのお寿司を出す老舗のお寿司屋さんに行くこと。店に着くと予約のみのお客様限定、と看板にかかれていてうっそーマジかよとダメもとでお店のおばちゃんに聞いてみたらむかし寿司食べるなら、と店に案内してくれた。なんてラッキーなんだ。そうして無事にむかし寿司を食べ目的を達成したふたりはすぐ横にあった港を少しぷらりし、車で5分ほどの所にある崖観音へ。階段をあがると港町が一望できた。

なにより、空が綺麗。雲がいい形。今年は空をよく見てる。空は海へ行くほどだだっ広くて、白い雲とのコントラストがまた美しかった。そんな画力はないけど、絵に描きてえ、と思った。人はなにか美しい光景を目の当たりにすると形に残したくなるらしい。

その日は宿をとっている訳でもなかったし、ひとまず夕暮れから夜に変わる時間帯、御宿町という街を泊まれそうな場所を探しつつ走る。そこはわりとリゾートっぽくて、通りにヤシの木なんかが揺れてて、海沿いの月の砂漠通りという道へ抜けていくと、薄暗くなった海にはまだたくさんの人がいて、サーフィンを楽しんでいた。なんかいい。

山間に入るとキョンがたくさんいた。えーキョン!?八丈島にしかいないんじゃないの!?とびっくりしたが、このあたりでは繁殖しまくってて問題になってるらしい。
キョンを見送りつつ泊まれそうな場所もないので引き返し勝浦の方へ少し南下すると、海沿いに無料の駐車場があった。車もちらほらで、目の前砂浜でちょうどイス置いてしっぽり肉でも焼いて飲めそうな一画があったので、今日はここで車中泊して飲むべ!と早々にイスとテーブル代わりになるボックスを置いてガスとフライパンで適当に近くのスーパーで買ってきた食材をつまみつつだらだら飲んだ。海の向こうの方では稲光り。海にはぽつぽつと光。船ではなさそう。空には無数に飛び交う飛行機。酔って、揺れて、飛行機の光が一瞬ヘンな動きをしたように見えて、「うおーあれは怪しい!あの動きはおかしい!いやーこれはスクープですね」と騒ぐよーくん。宵も酔いも深まる。
寝落ちしてしまう前に砂浜に降りてスーパーの横のちっちゃな商店で買った手持ち花火と噴き出し花火をやった。なんて夏なんだ。「四六時中も好き〜といっとぅえ〜」とサザンの『真夏の果実』が脳内再生される。中学の時からサザンで一番好きな歌。なんて夏なんだ。

翌朝。二日酔いの頭痛を少しでも覚まそうと、夜明け前の砂浜にイス持ってってボーッと座る。風がひんやり気持ちいい。もう夏も終わりなんだなと。今年の夏も馬鹿に暑かったな〜。特に仕事柄季節と天気と気温と湿度を全身で浴びまくってるので(笑)7月なんかはほんとにキツかった。どんだけ暑くなんだよ日本の夏。そのうち外仕事なんてできなくなるんじゃないのか、夏。
空はだんだん明るくなり、うとうとしてたらよーくんも起きてきて隣にイスを並べる。だんだん増えるサーファー達。その佇まいが誇らしい。振り返ると駐車場はいつの間にかパンパンの満車だった。男たち、中には女の人もボード片手に思い思いに波へ向かっていく。そんな中ちんちくりんな我々ふたりは「じゃー泳ぎますか!」と海パンらしきものに着替えてサーファーの邪魔にならない少し離れたエリアに泳ぎに行くことに。頭はまだ痛かったが、準備体操して波に入る。水がひんやり気持ちいい。

東京へ来て割と前半の方で、バンドまわりの友達数人と江ノ島に行ったことがある。その時感じたのとはまったく違う感情が湧いた。
なんだこれ、気持ちいい。ただ波を受けて泳いでるだけなのに、江ノ島で泳いだ時とは明らかに違う、波と戯れてる感じ。波が生きてる感じ。それを全身で感じてる。気持ち良すぎて笑いが止まらんかった。そんでもって一発で二日酔いが治った。
海水浴ってのは体にいいらしい。海水に含まれてるマグネシムが皮膚の保湿力を高めてくれたり、お肌のトラブルを改善して免疫力を高めてくれるらしい。その効果のおかげなのか、仕事で汗でびっちょりになるせいで、ここんとこずっと汗疹に悩まされていて痒かった皮膚が、海からあがったらぴたりと治まった。仕事に戻って千葉の海のことを教えてくれた先輩に話すと自分も治ったよ、と言っていた。すげえ。

それもそうと、無性にサーフィンを始めたくなった。こんなに大地を、自然を全身で感じれる遊びないでしょう。あ〜今度は海の近くに住もうかな〜。


海のよさを教えてくれた人、三重のまりなちゃん。三浦半島へ連れてってくれた友達、がんじー。そしてよーくん。三重、静岡、鹿児島の沖永良部島と、それぞれ海を感じて育ってきたであろう人達と、同じく南国宮崎で育った自分。

地元の周りじゃ東京へ出てくる人ってほとんどいなくて、別にそれほどなにか鬱屈するようなきっかけってなかったのに、何故自分は立ち止まり、地元に留まらずに、なにかをしたい!と東京へ出てきたんだろうとずっと考えていたけど、もしかしたらそれは、いや確信に近いかもしれないけど、一旦離れて自分の地元というものを引いて捉えたかったからなのかもしれない。そこまで深くはないだろうけど、本能的に。おかげで宮崎の陰の部分も陽の部分もどちらもあることを知れた気がする。

坂口恭平の行きつけの本屋、熊本にある橙書店の久子さんという方が言ってた「私が熊本に住む理由は地元であるということも含めて、この強い太陽のひかり。このひかりがないと生きていけないんです」と言ってたことが印象的だった。
強いひかり。それは隣県宮崎でも同じことが言えるかもしれない。穏やかな気候・風土。山間部の陰と海の陽。陰というとマイナスなイメージがつきがちだけど、そのどちらもなければやっぱりダメで、無意識のうちにそのどちらも感じて育ってきたのかもしれない。

それを改めて体で感じ、確かめるために、今年の11月、14年過ごしたこの大都市東京を離れ、宮崎へ帰ります。

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