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ゆらぎの下降線

創作を生み出す根源にあるのは人間の心のゆらぎ、特にそのゆらぎの波の下降線に差し掛かる所にこそあるように思う。ズーンと下がっている時、このまま平常に戻ることなどあるのかと不安に苛まれ呼吸が浅くなる。思考のスピードがゆっくりになる。思考が停止するのではなく、脳が無意識にバランスを取るようにスピードを遅めているかのような。それを「やる気が起こらない」とか「なにも考えたくない」などと口にするけども、実は新しい何かが生まれる際の変化の証なのかもしれない。それは意識から脱却して一時的に野性に戻ろうとしてるようにも思えるし、そうやってバランスを取らないと人間は生きていけないんじゃないだろうか。

すべてが意識化された世界だと歪が生まれ無意識的な柔軟さを失う。固定化されたロボット的な回路に従順になれる程にはどうも人間という生き物はうまく出来ていないんじゃないだろうか。

ドゥルーズの「逃走論」とは、資本主義経済に端を発する均一化・画一化によって生まれる格差、さらに個々の経済システムが細分化・多様化していくことで複雑になり息苦しくさを生み出している現代において、そこから一旦離れて独自の動き方でそのシステムをかいくぐって息苦しさから脱却していく道筋を表しているように思う。

包囲網的に細かい網目が逃げ道を塞ぎ、個人の欲求すらも経済パターンの中に落とし込められてしまう。息抜きやストレスの発散場さえも金銭を介してじゃないと得られないシステムになっていて、もはや経済搾取の無限ループ。それはもう絶望でしかない。

そうなったら残された道は、「自分でつくる、自分で生み出す」のみ。
自分、という輪郭を知り、どうあるべきかを徹底的に考え、柔軟さを身につける。そのうえで自分自身の心の機微に触れ、純粋に感情がゆれ動く「野性的な」欲望を引きずり出すしかない。
それは土と再び接続するということ。土から一度離れてしまった人間が、古来の人間がそうであったように土に根を張り土と「おんなじ」になる。土のリズムで呼吸をし、土のぬくもりに呼応する。土とのグルーヴ。

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