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自分をコンテンツ化しない

自分をコンテンツ化しない。別に何者にもならなくていい。
MOROHAのアフロは「三文銭」のライブの中で「ぶっ飛んでなくなっていいぜ、いかれてなくたっていいぜ 普通でいいんだ 真っ当は真っ当なりに お前を全うしろよ」という。
絵を描いたから絵描きとか、音楽活動してるからミュージシャンとか、YouTubeに動画上げたからYouTuberとか、詩を書いたから詩人とか、そんなんじゃなくて、その手前に見つけたであろうなにかが生まれた時の感情ですべてが始まったと同時にすべてが終わっている、それ以上でもそれ以下でもない。
「なにかをやる」というのはある種連続性を持った運動のようで、その時その時の爆発でもあるので、前やったからまたやるとかそういうモチベーションを持とうとすると途端になにもやりたくなくなると思うので、だからこそ「今だ!」というタイミングを掴み取る能力を持ち合わせる、鍛えることがまずは重要だと思うんですよね。子供は別に将来絵描きになるとかいちいち思って絵描いてないし、それこそその瞬間の描きたい感覚で描いてるからなんにも不自然さがない。

それこそ写真なんてものは撮ったから写真家みたいな捉えられ方されないのは、みんな日常的にスマホで写真取ってるしなんら変わりのない事になったからであろう。だからそんな感覚で歌つくったっていいし、小説書いたっていいだろうし、詩書いたっていいだろうし、セーター編んだりつるかご編みしたっていいだろうし、なんだっていい。それこそ料理をつくる感覚に近いのかもしれない。

なんでも世の中コンテンツ化(商業化)してるので、最近のガチャガチャなんかがニッチな方ニッチな方にあら捜ししてるのも逆にシラケちゃってどうも駄目です、ないとこないとこ堀りまくって手垢つけて次儲けれんのなんだろって血眼で探してる。
適当にそのへんの棒拾ってガードレール叩いてリズムとったらもう音楽、ってそんな感じがいい。

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