見出し画像

完璧なんて忘れて

ひとつひとつ、積み重ねて、結果を残して、プレッシャーを感じて、それを覚えて、レベルアップして、というマインドにひとつの壁が存在してて、その積み重ねてのブロックを一旦ジェンガ指で押すみたいに崩してあげて、思考のクセをなくして、それがすべてではない世界線の中に自分を見つけていく。自分を見つめていく。心の内なる、もっと奥の、それが自分の内側から発せられたのかすらわからない声に耳を傾けてみる。

学校や親のしつけは基本、軍国ぐらいからの縦社会の中で脈々と植え付けられた「こうあらねばならぬ」の鍛錬の集大成なので、知らず知らずのうちに洗脳のごとく、さもそれが自分のあるべき姿のように教えられ学ばされてきたものだけど、それ以前の自分というのが絶対的にみんな存在してる。だけど長年植え付けられた思考のクセというのはなかなか解体するのが難しい。

完璧なんてとうに忘れて温泉浸かって、「なあおれ、おれはこの後何食べたい?」とか聞いてあげる。そうするとちゃんと答えが返ってくる。最初の方は「わからない」が多い。ほとんど、だいたいそう。でも本当は「わからない」の奥の方に、もう少し奥の方に心の声があったりする。「饅頭食べたい」だったり「バームクーヘン食べたい」だったり「海が見たい」だったり「寝てたい」だったり「高校以来連絡取ってないあの同級生の声を聞きたい」だったり。そのひとつひとつの声を叶えていくこと。夢を叶えるなんて仰々しい。そんなんじゃなくて心の声をひとつひとつ叶えてあげる事がとても大切で、それを叶えていくと人は安心を獲得する。人は安心を求めてる。ただそれを得るためのプロセスを知らない。教えられてもいない。そう人は安心が欲しい。最近そんな気がしてる。
完璧マンがほとんどの人間に背後霊みたいについてるので、近づいてきたらとりあえずガン無視の練習してみて下さい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?