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アウトプットの練習

18歳の時にある日ポツっっと、ブログを描き始めた。そう、たしか18だったと思う。今はもうそのブログ自体は消してしまったけど、初めて書いた時の情景と記事のタイトルは覚えてる。高卒で就職してからというもの職場に友達ができず、別の職場で働いていた高校の同級生と休みのたびにつるんでいた。そいつの部屋は当時実家のばあちゃんちの牛小屋だかの2階にあり、狭いけど落ち着くスペースだった。そこでいつもなにをやっていたかまでは覚えてないけど、だらだらと深夜までだべって、友達は眠くなって先に眠ってしまっていた。ぼくは電気を消してからも寝れなくて、真っ暗闇の中で初めてのブログを書き落とした。ブログのサイト名は『さよなら天国また来て地獄』。記事のタイトルは『深夜ラジオ』。
それからというもの、事あるごとに文章を書き綴っていた。別に誰が見ているわけでもないので、好き勝手に、思いのままに。

確か同時期にポツリポツリと曲も作り始めていた頃だ。ぼくは鹿児島県霧島市にあるソニーの工場で働いていたが、うだつのあがらないモヤモヤっとした日々を過ごしていて、高校というシステムから完全に切り離されて、社会というものにほっぽり出されてまったく別の人間関係を形成せざるを得ない状況の中、誰とも話が合わず(たいていみんなの話の内容はパチンコとかキャバクラとか風俗の話)、腹を割って話せるのは幼なじみと高校の友達くらいだったので、休みのたびに鹿児島から地元宮崎に帰って遊んでいた。

遊ぶと行っても、深夜にあてもなく車で音楽をかけながらドライブしたり、夜景をみたり、カラオケ屋に行ったり、ファミレスでだべったり。無為な日々。空洞な日々。当時はそんな風に思っていたけど、今考えると一番音楽を聴いたり映画を観まくったりインプットしまくってた時期だったし、なにか解らないまがまがとした気持ちを外へ表出したいようなもどかしさが常にあった。それは単に会社でうまくいかない自分の捌け口を必死で見出そうとしていたのかもしれないけど、そのモヤモヤ、そのまがまがを自分なりにアウトプットすることを覚えたおかげで今の自分がいることは確かだ。

その当時はD1グランプリ(プロドリフト選手権)への憧れがあって、自分も車の免許を取って間もなく、180SXというスポーツカーを買ってよなよな峠へ繰り出してドリフトの練習をしていたが、その走り屋まわりの空気感にうまくなじめないことと、その車で峠で2回ガードレールに直撃した失敗もあり、「自分には向いてないな」とさっさとその道は諦めた。
そもそも大前提として、自分が自分らしくいれる居場所を見つけることが一番大事で、そうじゃない場所に無理にいる必要はないと体感でわかっていたのだろう。走り屋の世界もそうだし、当時の職場もそうだった。

先日書いた記事の中で「育った環境から一旦離れて外から地元を見てみる為に東京へ出てきた」的な事を書いたけど、その一方で日々ひりひりと感じていたこのモヤモヤを形にしたいし、外へ向かって表現したい!という気持ちがあったから東京に出てきた部分は往々にしてある。もうほんとーーにここは感覚でしかないんだけど、地元宮崎県内でそれをやるってのは考えられなかった。そしてその先でどうなりたいとか(メジャーデビューしたいとか、売れたいとか)もまったくなかった。

うちは両親が音楽の演奏家・作曲家で〜とか子供の頃からクラシックを聴かされて〜とかピアノを習わされてて〜とかよく家でビートルズやボブディランがかかってて〜とかそんなバックボーンは一切ないし、そういう家庭への憧れもない。逆に娯楽やカルチャー的な要素などまったくない環境から、泥臭く汗臭く、にじりにじりと棟方志功と版画の距離感並に這いつくばって手垢にまみれて生まれてくるものの美しさを信じてる。うーん、説明が難しいんだけど、たとえば…

かつて歌舞伎町にゴン太さんというホームレスがいたという。それを知ったのはある番組のドキュメンタリーで、ヤンさんという韓国人カメラマンが平成8年頃、歌舞伎町という街の魅力を知り、日々写真を撮っていた中で彼と出会った。

ゴン太さんは詩を書いていた。

「今を生きよう 今が大好き 今にすべてをかけてもいい 今を生きよう 今が大好き」
 「そんなもんだよ さむい時きゃねれず あつい時きゃねれず ちょうどいい時 ねむくない」
 「夏は暑くて 冬は寒くて それなりに 俺なりに」

育った世界の空の青さとか夜の暗さ、明るさ、人の冷たさ温かさ、虚しさ優しさ、その彼が見たすべてが作品に凝縮されていて、ぼけーっとその動画をを観ていた所にいきなり銃口突きつけられてボカーン!と心臓撃ち抜かれた気分だった。もうなんか、種田山頭火なんすよね。「まっすぐな道でさみしい」「酔うてこほろぎと寝ていたよ」のような、この抜けきったボカーン感が。不意を突かれる感じが。

ゴン太さん

最近そんなことばっか考えるんだけど、結局それらの行為って「自分の薬」なんですよね。世の中で与えられる、教えられるひとつひとつが、なにか結果を伴う、いわゆる競技的なものやコンテストで順位付けすることを前提としたものだったり、ジャンルやカテゴライズされているもので埋め尽くされているせいで、ある程度の枠内にしか収まらないようにできてる、ように見えちゃう。
だけどそんなものの奥に僅かばかり霞んで見える、自分のこころ、表現欲、不確かなもの、なにかよくわからないもの、それを形にする能力を大半の人は持ち合わせていないし、いかにそれが重要なことかもわかっていない。
そりゃあ当然ですよね。そんなこと誰も教えてくれないもん。学校だって授業でインプットは教えるけどアウトプットは教えてくれない。図工や美術だって、型にはまった枠内でなにかをつくるだけ。その人なりのその人らしい表現の形やノウハウなんて教えちゃくれない。だから大人になった時に急に行き詰まる。「あれ、おれって私ってなんで生きてんだっけ?」と。

みんななにがしたいからわからないからとりあえず形式をなぞって、一時的な発散をしているんだけど、その行為自体がもうかなり末期っぽくて、それを宮台真司がYAMAPの社長との対談の中で「週末のサウナ、週末のシャワーでリフレッシュしてブラック企業に戻る」というような言い方をしてたけど、根本的な問題は解決せずに、一時的な消費行動をすることでなんとなくごまかしごまかし生きている。

アウトプットがなぜ大事かって、「自分の内なる声を外に出す」ってことなんですよね。
自分がどういう時に悲しくなったり楽しくなったり、どういう事を気にしすぎちゃうかとかこれは楽にやれるなとか、そういう小さなひとつひとつの気づきみたいなものに、アウトプットを積み重ねることでたどり着けるようになる。心の声に気づけるようになる。もっと本当は早い段階で、出来れば学生時代には知れるようにならないといけないけど、さっき行った通り学校じゃ教えてくれないので、あらゆる対処法もわからぬまま社会に出されちゃうので当然パニクってしまいます。まさにぼくもそうでした。

まるでみんな「世の中つまんないのがデフォルト」みたいな状態になってる気がします。ぜーんぜんそんなことないよ。ただそれぐらい見えなくなっちゃうくらい、一時的な快楽や癒やしを得られる場所や選択肢が増えちゃったおかげでそこで解消された気になっている部分もあるし、ほんとはみんな楽しくいたいはずなのに、自分がどうすれば楽しくなれるかを考える必要があるはずなのに、その一番大事な問題に向き合わないままにやり過ごしてる感じがする。

ぼく自身はブログを何年も書き続けてきたおかげで、自分の声を聞くことができた。書くことで反芻し再確認し現状を少しだけ整理できた。
ただそれから数年後、知人なんかに見られてくるようになって今度は逆に窮屈になってしまうようになり、そのブログは閉鎖してしまったけど、また別の場所をつくって書いたり、Twitterでつぶやいたり、こうしてnoteに言葉を落としたり。

結局、自分が居心地よくいれる居場所を探すか、自分が居場所をつくるかのどっちかだと思います。現実的に誰かと接続する、心の声を伝え合える居場所ってのもそうだけど、心の声をアウトプットできる場所を探すというのもそう。

音楽なんかもやっぱりそうで、なにかを目指す人じゃない人(メジャーデビューするとか、コンテストに出場するとか以外の人)でも別に音楽に詳しくない人でも音楽をつくっていいと思ってる。音楽も自己表現なので、他者とはひとつも被らない唯一無二の作品がうまれる。しかもその時つくった、録音した音って、その時のすべてがパッケージングされるので、苦しんでる時は苦しい音がする。ちゃんと心の声が記録される。
それが証拠に、20代の時につくった曲をたまに聴き返して泣いてしまうことがあるんだけど、それはやっぱりその時の苦しみや孤独がそのまんま音に凝縮されているからで、未だにそれを聴くと「つらかったんだね、寂しかったんだね、もう大丈夫だよ」と当時の自分を抱きしめてあげたくなる。
むしろ苦しんでる時にこそアウトプットしなくちゃいけない。人に見せれなくてもいい、弱くてもダサくてもいいから、まず形に残す。絵でも文章でも音楽でも。それが自分の薬になるし、過去を苦しみながらもちゃんと生き抜いてきたんだな、まだやれるなって力にもなる。

20代の頃ってどうしても自分と向き合う時間でもあって、特に若いと感じやすいし細かい所に気づきやすいし、それだけ余計な傷を負ってしまう場面がある。
そんな時間もいつかはぜっったいに役に立つと信じつつ(その時はそんな事思える余裕ないけど)、それで成長したら30代くらいからは外へ外へ与えられたらいいなって思う。今めちゃくちゃそんな感じになってる。

20代で孤立しまくってた時は「ひとりで生きられる」って思って親とも友達とも連絡取らずに過ごしていた時期があったけど、人間そこまで強くないし、すべて自分の為にと生きれるほど自分という存在は個として成立してないし、そんなスーパー無敵完全無欠人間ではないことはあきらかなので、さっさと諦めて、友達と電話で話したり遊んだり、困ってたら助けてあげたり(余裕があれば)できたらなあなどと。

それこそちょうど数日前、鬱で苦しんでる地元の友達と4時間電話で話したけど、相談に乗ってあげる中でも自分自身も新たな気づきがあるしめちゃめちゃウィンウィンな関係っていうか。他人の悩みを聞いてあげることも自愛のひとつなんだなあと思えた。
だって、すごい受け身で絶対に自分からなんか連絡してこないその友達が夜いきなり電話をかけてきてくれたんですもの!もーう泣くほどうれしかった。と同時に「あーなんか自分の力で変えようってモードに切り替わってきたんだな」っていうその変容もうれしかった。そのひとつひとつの反応こそが、ひとりじゃ生きられないに繋がるんです。マーージで嬉しかったから。自分の言葉ひとつで相手が喜んでくれたりとか少し声のトーンが明るくなったなとか、そんな反応を感じれるのが嬉しい。
毎日見てる庭の植物もおんなじかな、今日はうれしそう!とか、新しい花が咲いてる!とかそんな反応に近い。生きてるだけで絶対成長はしてるんですよねきっと、悩んだり苦しんだりは全部栄養だから。

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