見出し画像

自分マニア

書くマニア、見るマニア、動くマニア、知るマニア、聞くマニア、寝るマニア、自分マニア。

とにかく書く。日記でもなんでも。思いついたこと。今日スーパーで買うものリスト。怒り。住所氏名。知り合いの名前。友達の名前。つぶやき。note。食べたもの食べたいものやりたいことやってみたこと。スマホで打ち込んだ文章も手書きのメモも日記もレポートも手紙もラブレターもこの現在地点までの幾年月重ねられた文字が自分の足元から黒塗りの影となりこの体を支えている。この言葉が、文字が、自分を新しいどこかへ連れて行ってくれる。

見る。または観る。花を見る。職場の同僚の表情を見る。ゴミカレンダーを見る。忘れられない映画をもう一度観る。調味料の内容量を見る。値段を見る。薬の成分を見る。ブルーライト越しの世界を見る。タイヤの残り溝を見る。ペンライトで照らした闇の向こう側を見る。夜明けの海辺の太陽を見る。恋人の太ももを見る。新刊の漫画を見る。自分の爪の間の黒いとこを見る。指紋を見る。カラオケ画面の歌詞を見る。瞳の奥に自分がいる。

動く。動き回る。土を歩く。アスファルトの上を。鉄棒に手を伸ばす。彼氏にビンタをする。ハローワークを手に取る。マグカップを置く。中指を立てる。領収書を受け取る。バク転でマットレスを掴む。渓流の滝場の横をへつって草付きをよじ登る。カボチャを押し切る。ハンドルを切る。指が地面を捉える。こけて血が出る。この左手。この右手。いろんなものを掴んだり離したり。生かしたり殺したり。

聞く。風の音を聞く。テープレコーダーに吹き込んだ声を聴く。兄貴の部屋に置きっぱなしのマイラバのアルバムを聴く。セキレイの鳴き声を聞く。親の話を聞く。ばーちゃんの話を聞く。自分の声を聞く。radikoを聴く。小林秀雄の講演を聴く。トイレのウォシュレットの音を聞く。雨音のリズムを聞く。隣の人の会話を聞く。青森のトラクターの音を。駿河湾の船の音を。横田の軍用機の音を。環状線の車の集合音を聞く。聞くともなしに聞く。墓の玉砂利の音を聞く。DTMのクリック音を聴く。思い出を聞く。明後日を聞く。

五感すべてで感じる。繰り返す。積み重ねる。その現象や体験ひとつひとつが体に滲み馴染み、新しく空気が入れ替わる。5万回目のバーコードのピッ。4回目のビンタ。18回目のクラクション。3006回目の自分の名前の記名。251回目の合掌。毎日聴いてるけどカラオケで初めて歌う曲。寝転んで描いた絵。立ったまま描いた絵。卒業式の背中の体温、友達の体温。まつ毛の埃がまばたきで風に舞う。この体は世界それ以外の空間すべてをひっくり返した形状をしている。フォトショやイラレ使った人ならわかると思うけど、自分は自分という形を自動選択ツールで選択した範囲であると同時に、選択を反転したそれ以外のすべての世界である。だからまったくもって無関係な存在などなにひとつない。

選択した部分が自分
それ以外の部分も(ある意味では)自分の反映


車で野良猫を見る時、あいつらはその車ではなく車の中に乗っている自分の瞳を見てくる。すなわち中の人間という存在を認識している。それを考える時「自分は猫にも認識されている」と気づく。同時に「自分はこの世に存在してるんだ」と再認識する。手で仰ぐと自分が起こした風で草が揺れる。ばーちゃんはもうこの世にいないとしても、肉体が滅びただけで、こっちが話しかけたら話した時にそれまでと違う脳の反応が発生する。その時に存在を捉えたような感覚になる。人は人から忘れ去られた時に本当の意味で死ぬ、という言葉があるけどまさにそう。自分の心からなにかが発生して、それが行動を伴って波を起こす。その波がいい波か悪い波かがとても重要で、波は見えなくてもテレパシーのように一見無関係で言葉を交わすことのない他者にも伝わっている。だから日頃の行いだとか心の動きが一番重要で、表に出した言葉よりもっともっと深い意味を持つ。いい波でいたい。


いい波でいたらいい人と出会える。こないだ地元のおばちゃんとしゃべった時に「いい人(人間)と付き合わんといかんよ〜」って言われた。ほんとその通りだと思う。他人の起こす負の波も連鎖するし、いい波を持った人と付き合いたい。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?