幸せ
自分の身の回りに幸せな人がいると自分も幸せな気持ちになる。みぞおちの下あたりがぼーっとあったかくなるような。その関係が友達だろうが恋人だろうが妻だろうが夫だろうが仕事仲間だろうが関係ない。とりあえず幸福である人。ちゃんと自分の生活に地に足をつけて生きている人。ちゃんと笑い方を知っている人。人の悪口を言わない人。人の愚痴や社会への不満ばかり言っている人とばかりいると、その時間が長くなればなるほど伝染病みたいに伝染してみしまう。伝染しないためには距離をとる、できるだけ関わらない、そういう人の多い環境にいるなら環境を変えてみる。自分から進んで不幸になる必要なんてまったくないはずなのに、日本人がなのか、我慢がすきだから、「しょうがない」とか「うまくいかない」とか言って環境を変えないままその矛先を自分に向けて自分で自分を傷つけている。そんな必要まったくない。
たくさんの嘘、たくさんの裏切り、たくさんの悪口。そういうのは体の中にだんだん蓄積されて、顔に表れてくる。そういう顔になってくる。
人は人、自分は自分。自分と他人の境界をちゃんと保っていないとおかしな事になってしまう。だから自分の時間は必要。
みぞおちの下があったかくなる感じ、他のことなんかどうでもよくなる瞬間、そういう感覚を大事にしてると割といい空気感を持てる。空気ってのはひとりひとり違うし、その人の持ってる空気感によって合う合わないってあるし、なんとなくわかってくる。
いい空気を持ってる人はいい。風通しがいい。会った瞬間わかる、あーいい空気を持ってるなあって。そういう人とは仲良くなりたくなる。損得勘定でもって「この人と仲良くしておけばなんかいいことあるかも」的な感じで近づくとろくなことない。いい空気を持ってる人=幸せってのに近いかな。過去も未来も関係なく、瞬間いい空気でいる人。人生の中で一度も言葉を交わすことがなかったとしても、その同じ場所にたまたま居合わせて、数分後もしくは数秒後に視界から消えてしまって二度と会うことはないにしても、その瞬間にその人が放ってる空気に圧倒されたこともある。うわーなんてすげー光だ!まぶしーってぐらい。目には見えないけど感じでわかる、その素粒子みたいな細かい幸せの粒に大きな影響をされて人は生きてる、気がする。その粒の集合体っていうか。思考とか理解とかとはまた別のところで。バタフライエフェクトじゃないけど、小さな小さな原因があってそれが大きくなってある瞬間に結果(変化)が生まれるから、嫌な空気ばかりを吸収してたらある日突然おかしくなっちゃう可能性だってある。
だから最近特に、「他人だから」「知らない人だから」って感覚は持たないようにしている。言葉の発し方、目の動き、表情。人間は他者のそういう細かな動きを実は敏感に察知してるから、逆に自分も無意識のうちに誰かに空気を飛ばしてるんだなって考えると、あまり嫌な空気は持たないようにしたい。触れたら心地いいような柔らかい空気でいたい。
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