【7】日ソ開戦前の状況~身の回りで起きた事~
前回はコチラ。
今回はここからです。
身の回りで起きた事が書かれています。
ちょうどその頃いろいろな事故がおきた。
参謀部庶務主任の矢追中尉の長男が亡くなり、遠藤さんの6歳になる長男が軍酒保付近の路上で交通事故による死亡、月岡参謀宅では生後まもない双生二児が死亡と、僅か1週間たらずの間に不幸が続き、夜半官舎への帰途遠藤さんは涙ぐんで「不幸はうちばかりではないし、然しよくこうも続いたものだ。」とつぶやく声に周りの者も共鳴し、みづからもまた重大な損失を被った様に感じた。
動員室が多忙であり、外来者の煩雑から避けるため別棟の平屋に作業を移すことに両角少尉から命ぜられて移動した。
両角少尉が忙しい時の癖で眼鏡を外して拭くことが多くなった。
作業室での作業は長くはなかった。
この頃阿城の独立重砲兵第5大隊は牡丹江の南方東京城に移駐し、皇軍の若い将校根本玄武大尉が動員室に立ち寄り、
「君の顔を見に来た。」
と言って最近は髭を伸ばしたよとあご髭をしごいてみせ
「今度独立重砲第1中隊長になってムーリン方面に赴く。第5大隊の砲は牡丹江に向かって撃つようになるんだ。頑張ってくれよ。」
と言い残してさっそうと出て行った。
お読みいただきありがとうございます。
次回はこちからから。
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