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【読書感想文】知的生産の技術

今思えば1年ぶりの投稿。

緊急事態宣言を受け、当時所属した組織での仕事が半分マヒ状態となり、一気にヒマになった2020年4月以降noteを始めたものの、8月頃から通常営業に戻り、忙しく働きつつ1年近く放置して今に至るのだが、

先日、その組織を異動することになった。


異動にあたってお世話になって上司から書籍が2冊送られた。

そのうち1冊が標題に記載した「知的生産の技術」である。

どのような趣旨で僕にこの書を送ったのか真意は不明だが、そもそも、ここまで読み手によって解釈が異なりそうな本は珍しいと思った。

概要は、念のため、Amazonに記載のものを引用するが、要は学校での知識詰込み型の学習方法に対する警鐘、と僕は理解した。

学校では知識は教えるけれど知識の獲得のしかたはあまり教えてくれない。メモのとり方、カードの利用法、原稿の書き方など基本的技術の訓練不足が研究能力の低下をもたらすと考える著者は、長年にわたる模索の体験と共同討論の中から確信をえて、創造的な知的生産を行なうための実践的技術についての提案を試みる。

来たる情報化社会を予見しての「知的生産」のススメを筆者は説いているが、推敲されたのが1969年というのが驚き。今読んでも非常に納得できるものばかりであった。むしろ、実際に情報化が進んだ現代においても実践できていない人が多いのでは?と共感できる部分も多い。

といった具合に、僕は納得+共感が大半であったが、冒頭に記したとおり、読み手によって解釈が異なりそうで、やり方を強制するな、とか、そんなの人それぞれだ、とか、思う人もいるはず。

でも、例えば、概要にも書かれた「メモのとり方」1つとっても、現代ではメモという形式では取らなくなったものの、evernoteに感じたことを記録したり、noteにその時考えたことを順序だてて整理しておいたり、見たものをスマホを取り出してパシャっと記録したり、何かと整理できる。

そういった「発見」や「思考」の記録のやり方を技術として紹介しており(著者自身は紹介ではなく、議論のきっかけになってほしいと言っている)、必ずしも手段を求めているものではないため、現代社会において、そのメモはevernoteであったり、noteであったり、写真だったりしてOKなんだと僕は理解した。

これを記録方法や手段の強制のように感じた人は読んでも面白くなかっただろうと思う。

そういった「知的生産」が大事だということが50年前から説かれており、今も多くの人に読まれている、つまり「知的生産」が一定の普遍性を以て、この情報化社会においても必要な心得という解釈をした。

なんのことはない、僕が普段から行っていることであり、今後も続けていくだけのことだ。そう認識できた点、非常によい本を読んだと感じた。

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