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カナさんの夢の街(小説)

一次創作小説です。記憶にある限り生まれて初めて書きました。


……ネネコが眠りにつくと、夢の街の街角に佇んでいた。ネネコの街ではない。職場の先輩のカナさんの街だ。品はあるが気取りのない住宅街の、車道を挟んだ向こうにカナさんがいたので、手を振った。カナさんも手を振って、こちらに近づいてくる。ネネコはひとまず挨拶をした。挨拶は社会人の基本だと教わったので。
「おはようございます」
「おはようございます」
今は恐らく夜だけど、職場の人と今日初めて会う時はおはようございますから始まるものだ。カナさんは部は同じだけど、今は隣の課の人なので、今日は遭遇しなかった。夜といっても街はやけに明るい。太陽は見えないが、雲もない。
「お招きありがとうございます」
「いいえ、汚いところですが」
カナさんは少し気取って笑った。いつもの、ひざ下の紺のスカートに、少し古びたカーディガンを羽織っている。ネネコもいつもの花柄のワンピースを着ている。足元は二人とも社内用のスリッパで、アスファルトの感触が柔らかい靴底から伝わってくる。歩きづらくない? とネネコが思った瞬間に、ネネコの靴はスニーカーに、カナさんのはぺたんこのパンプスに変わっている。ジョギング用に買って、結局一回も使われてないスニーカーだ。おお、こんなところで日の目を見るとは。
「えー、やば、便利ですね」
「夢だからね」
カナさんはいかにも重々しく言った。職場の部長がやらかすあれこれについて「部長だからね」という時の顔だ。カナさんはあまり陰口を言う人ではなくて、いつも真面目に働いていて、ネネコとカナさんは仕事以外の私的な会話をしたことほとんどがない。けれど、今夜、夢に招かれたのだった。別に夢に来てね」と誘われたわけでも、何か魔女の儀式(ハーブを焚いて、コーヒーカップに月を浮かべて、枕におまじないを忍ばせて寝る、だとか)をしたわけでもない。ただこの街に降り立った瞬間、カナさんの夢に招かれたのね、という認識が入り込んできた。夢って大体そういうものだ。

カナさんが歩き出しながら説明する。カーディガンの胸ポケットにひっかけているシャーペンを引き抜いて、教師が黒板を指すあの銀色の棒みたいに空中でゆらゆらさせた。先の軌道が流れ星みたいに光る。
「今夜は、わが街の、二年に一度の仕事に付き合ってもらいます」
「はい。どんな仕事ですか?」
「固定資産税の評価替えです。街の、住宅とか、店舗とかが、建てつけられた時から状況が変わっていないか見るの。例えばそうね、庭でいきなり油田が発掘されたら、不動産の価値はものすごく上がるでしょう。そうすると従前の価値で税金を計算するのは不公平ということになります。逆に、油田が枯れたら、税金はもっと安くしないといけないでしょう」
「ここ油田沸くんですか?」
「もののたとえです。……たとえ話が下手なの」
「ふふ」
ネネコは笑った。たとえ話が下手だからではなく、照れたカナさんがかわいらしかったからだ。カナさんは話を続けた。
「つまり、変化があったら書類に付け加えて、法律で決まった掛け率を掛けて、来年の固定資産税に反映させます。実例を挙げると」
カナさんは右手の公園を示した。
「あの公園は先月できたの。公園ができると、周りの住宅の評価はあがります。つまり、固定資産としての価値があがるので、税金も増えるというわけ。それをメモします」
「なるほど、私は何をしたらいいですか?」
「ネネコさんは助手をやってください。私が言う数字をメモしたり、メジャーで家の長さを測ったり。都度指示するので安心してね。分からないことがあったらいつでも質問してください」
「はーい」
ネネコが学生のように言うと、カナさんはちょっと笑った。カナさんはネネコが新入社員の時、少しだけ教育係をしてくれた人なので、二人ともそれを思い出したのだった。
カナさんはポケットから取り出した、絶対にポケットには収まらないサイズの地図を広げ、「あちらに行きましょう」と右の方を指ししめした。
二人は住宅街を歩き出して、仕事にとりかかった。

街は、なかなか大きいようだった。といっても夢なので、いきなり途中で道が切れて虹色に輝いて霧散していたり、角を曲がると鬱蒼と茂った森だったりして(「この向こうは固定資産とかないからいいわ」)、全体像がよく分からない。ただ「出口」にたどり着かないので、大きいんじゃないかな、と思う程度だ。電車やバスのような公共交通機関は見当たらない。カナさんに聞くと、住民はそもそもほとんど住んでいないらしい。「すごく過疎の町なの。少なくとも私が知る限りでは」「カナさんの夢の街なのに、分からないんですか」「夢ってよくわからないから」「あー、ですね」……。
真新しい町道の幅をメジャーで測りながら、ネネコは聞いた。メジャーの端っこはカナさんが、もう端っこをネネコが持っている。
「超過疎の夢の街なのに、よそものを入れてもいいんですか?」
「よそもの?」
「私とか。6メートルにじゅう…ご」
「6メートル25。まあ二年に一回ぐらいはね」
「ペースの問題すか」
「一年に一回だと多い。十年に一回だとさびしすぎる。丁度よいよね。町議会の議員たちが決めたんだけど」
「町議会あるんだ」
「町だからね」
「カナさんは議員なの?」
「いえ私は庶民だから。選挙に出るには供託金の、できるだけ丸くて光るビーズをたくさん備えないといけないし……。ごめんなさい、北に十歩進んだあたりの幅も測ってくれる? そこから少し狭くなってるみたい」
いち、にい、さん。十歩歩きながら、夢の街でも庶民は政治家になれないのか。世知辛い。とネネコは思った。というか、供託金ってビーズなんだ。「カナさんビーズ好きなんですか?」
「普通。子供のころワイヤーで編んだかな。でも別にすごく夢中になってたわけじゃないし。チェコビーズとかきれいねって思うけど、それぐらい」
「あーきれいですよね、チェコビーズ。花の形とかありますよね。えーと、7メートル……なな!」
「7メートル7。はい、ありがとう」
「いいえ~」
 

古い町道沿いに、どこまでも続く塀がある。とても広い敷地のようだ。塀の向こうには木々が生い茂っていて、建物は道路側からは見えない。塀には蔦が這っていて、秘密の庭という風情だ。とネネコが思ったその時、ちょうど蔦が少し開いている部分に、鍵穴のようなものがあることに気づいた。おあつらえむきすぎる。
「カナさん、ここってあれですかね。秘密の花園的な」
隣を歩いていたカナさんを振り向いてそう聞くと、ああ、と静かに頷いた。「そう」
「鍵持ってたりします?」
「しますけど」
カナさんはそういうと、スカートのポケットから鍵を取り出して、ネネコに渡した。冷たく、軽い、アンティークのようなおしゃれで複雑な形の鍵だった。
「調査してもあんまり意味ないよ。ここは永遠に荒れ果ててるから」
「永遠に?」
「永遠に」
カナさんはお役所の縦割り行政について文句をつける時のような口調で繰り返して、手に持っていた地図の一点を指さした。そこには日本語で「永遠に荒れ果てた庭」と書いてある。
ネネコは「開けてもいいんですか?」と聞くと、カナさんがいいよ、と言ったので、鍵穴に鍵を入れて回した。
庭は、しん、と静かに冷えていた。
打ち捨てられたテーブルと、脚が二本しかないイスと、落下したブランコと、割れてほぼ土と同化したティーセットと、刺しかない薔薇の木と、あと抜かれたまんまで水分を失って枯れたマンドラゴラがあった。え、マンドラゴラ初めて見たんだけど、とネネコは思った。それ以外には花のひとつもない。ていうかマジで謙遜じゃなくて散らかりすぎている。
「うわ、永遠に荒れ果てた庭だ」
「そう。永遠に荒れ果てた庭なの」
カナさんは頷いた。
「これ、二年後回復したりしないんですか?」
「残念だけど、しないんです。庭師の人がいるんんだけど、永遠に休みらしくて」
「永遠に休み」
「永遠に休み」
「あ、固定資産税取ってるんだから、税金でやってくれたりはしないの?」
「やってくれない。税金の使途は不明だから」
「世知辛すぎる」
とネネコは言った。
そして、もしかして、ひょっとするとーーーこの庭はカナさんの心の風景なのかな?と思った。
心のぜんぶじゃなくても、カナさんの心のどこかにこういう永遠に荒れ果てた庭があって、それをどうにかするために、夢の中に呼ばれたのかな?それがネネコの、役目なんじゃないか? と。
「私、手入れしましょうか」
と拳を握りしめて、ネネコは言った。
でもカナさんは、素っ気なく、「いえ、そのうち庭師の人が来るだろうから」と言った。
それで庭を出て、元通りにきちんと鍵をしめて、ポケットに入れた。カナさんのいつも通りひっつめた黒髪のバレッタに控えめな小さな薔薇が描かれているのに、ネネコは初めて気づいた。

 

新しいパン屋さんが出来ていたので、間口と、縦横の長さを測った。
パン屋さんもお客さんもいなくて、ドアは施錠されていたけど、窓の中から店内を除くとパンが並べられている。見慣れないぐるぐる巻のパンの前に、一番人気、という手書きのポップも飾ってあった。
「あれ何パンですか?」
「さあ……月の雫の竜巻パンとかかな……」
「えーかわいい。メルヘン」
「パン屋さんってそういうのあったりするじゃない。私は普通にぶどうパンとかが好き」
「カナさんの夢の街なのに」
「夢だからね……」

 

手芸やさんは二年前と変わらずお休みだった。ショーウィンドウに飾ってある毛糸玉も、うっすらほこりが積もっている。
「おばあちゃんが体を壊してお孫さんが様子を見に帰ってきてるっていうけど、お店は開かないの。継いだりするのかしら」
「会ったことあるんですか?」
「ないけど。町報に書いてあるから」
「へえ。あ、チェコビーズがある。お店開いてないの残念」
ネネコは、次に来た時にお店が開いていたら、ここでチェコビーズを買おう、と思った。それから、次なんてきっとないのだ、ということを思い出して、少しさみしいような気持ちになった。ネネコとカナさんは、特別親しくはない。一緒にランチをしたことも、一緒に帰ったこともないし、どこに住んでいるかも知らない。何も知らない人と、夢の街で、固定資産税の評価替えの仕事をしている。ネネコは思った。ふしぎな夜。いい夜かも。

 

やがて、
「これで大体回ったわ、ありがとう。お疲れ様」
とカナさんは言った。いつの間にか、最初にネネコが佇んでいた、品の良いが気取りのない住宅街の路上に、二人は立っていた。
結局、何もしなかったな、とネネコは思う。ネネコはカナさんに言われた通りに、メジャーを引っ張ったり、はかったり、たまにチョークで道にしるしをつけたり、そんなことをしていただけだった。そんなのでよかったのだろうか。ふと足元を見ると、スニーカーが元のスリッパに戻っている。終わりなのだ。
ネネコはワンピースのポケット(ネネコはポケット付きのワンピースしか買わない)に手を突っ込んで、ずぞぞぞぞ…と音を立てて、あるものを取り出した。
マンドラゴラである。
ネネコはマンドラゴラを、「永遠に荒れ果てた庭」からひそかに持ってきたのだ。ポケットはマンドラゴラより小さいのだけど、夢なのでそういう便利なことが起きる。
「カナさんこれ、マンドラゴラ」
「マンドラゴラ!?」
「なんかの薬になるって聞いたんで、もったいないなと思って……。カナさん、家で何か煎じたらいいですよ。いつも真面目に働いてるし、なんかに効きますよ、きっと」
と言うと、カナさんは声をあげて、わははと笑い出した。
「マンドラゴラ持ってくることある。花じゃなくて?」
「花よりマンドラゴラの方が役に立つ気がしません?」
カナさんはまあ、そりゃそうだけど……と言いながら笑い続けている。今にも、変なひと、とか変わってるって言われない?とか言いそうな雰囲気だ。実際、ネネコは今までの人生でそう言われ続けてきた。でもカナさんは結局、そうは言わなかった。ネネコが、
「いりませんか? いらなかったら戻してきますけど」
と言うと、カナさんはまだ笑いながら、マンドラゴラを受け取った。
「私の夢の街に、マンドラゴラがあるの、今まで知らなかった」
と言って、それから、
「きっと、こういう時にマンドラゴラを持ってきて、薬だよって言ってくれるあなただから呼ばれたんでしょう」
と言った。それからはっと恥じらうように髪を耳にかけ、マンドラゴラをカーデのポケットにしまった。ずぞぞぞぞ……。
「カナさんが呼んだんじゃないんですか」
「いえ、町議会議員による選出です」
「町議会議員かあ」
ネネコは、まあいいかや、と思った。照れているカナさんがかわいらしかったからだ。それにしても、ネネコの夢の街もあるのだろうか。そこに誰か、助手を呼ぶとしたら、町議会議員は誰を選出するのだろう。たぶん、あんまり近しくなくて、でもわりと好きで、一緒に道路幅員を測ってくれそうな人がいい。誰かいたかな。思い出そうとして、うーん、と目を閉じた。 


それで、次に目を開けたときには、朝だった。ネネコは自分の部屋にいて、パジャマを着ていて、なんだかいい夢をみたような気がしたが思い出せない。夢とはそういうものなので。ネネコはいつもの花柄のポケット付きのワンピースに着替えて、ふと思い立って、ジョギングのために買って一度も履かずにしまいっぱなしのスニーカーを履いて、出勤した。
エレベーターで隣の課のカナさんと一緒になった。カナさんはネネコが新入社員の時に少しの間教育係をしてくれたひとだ。真面目で、陰口を言わなくて、分かりづらいユーモアがある。私的な会話をほとんどしたことがないし、ネネコのことをどう評価してるかも分からないけど、仕事の会話は誰とでもきちんとしてくれる。そういうところにひそかに好感を持っている。でもそれを口に出したことはないし、恐らくこれからもないように思う。それぐらいの距離感が、ちょうどよいような気がなんとなくしている。
「お疲れ様です」
とネネコが挨拶する。
「お疲れ様です」
とカナさんが言った。それで、ふたりとも、あれっという顔をした。まだ朝なのに、まるでひと仕事終えたような挨拶をしてしまったからだ。ネネコは言い直した。
「おはようございます、でした」
「はい、おはようございます」
カナさんも少し笑った。エレベーターが開いて、二人はそれぞれ自分の机に向かって歩き出した。別れ際、カナさんの手に持っていた袋から、焼きたてのパンのいいにおいが漂ってきて、いい朝かも、とネネコは思った。他人のパンのにおいで機嫌がよくなるなんて変かもしれないけど、きっと、これぐらいのことで、街は回っているように思う。
今日の朝は、いい朝かも。

 

 

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