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ジャズピアニスト、大江千里さん

noteのお題、「いまから推しのアーティスト語らせて」を見つけて久しい。私は何を隠そう、この「推し」と言う言葉をつい最近知ったばかりで自分から使う機会もなかった。何となく業界っぽいイメージで口に出すのは今でも恥ずかしい。でもふと私がこのnoteに登録した時の事を思い出した。そう、私が今このnoteにいるのはジャズピアニストの大江千里さん(つまり私にとっての推しのアーティスト)がnoteにいらした事がきっかけだったのだ。

大江千里さんについては、40代半ば以上の方なら大体皆さんご存知だと思う。1983年、関学在学中にポップの世界にデビューされ一世を風靡された。その頃の私はうら若き女子高生(だったはず)。でも当時可愛らしかった千里さんの記憶が何故か殆どない。TVの歌番組をあまり観ていなかったのだろうか。きっと折角の青春時代をボーッと過ごしていたに違いない。

時は流れて80年代の終わり。すでに社会人として働いていた私は、ようやくきちんと千里さんを認識することになった。きっかけは日曜日夕方のラジオのFM放送。ユーミンの番組の一つ前の番組のパーソナリティーが千里さんで、その流れで何とは無しに番組を聴くようになった。

毎週番組を聴いているうちに千里さんのお人柄、トークや曲にすっかりハマってしまった!トークが面白くて毎週爆笑!その時は気付かなかったのだが、これぞ関西人のノリだったのか。。(私が千里さんが大阪のご出身だったと知ったのはこれからずっと後のことだった。言葉もきれいな標準語でお話されていて知る由も無かった。)何しろ出会いがラジオだったので、ビジュアルで一目惚れというわけでもなく、なんとなくイメージでものすごく長身な方と信じ込んでいた。もちろん後から知ったビジュアルは、昔も今も素敵ですが♡

トークはただ面白いと言うだけではなかった。ご自分の意見を歯に衣着せぬ物言いでズバッと仰るのが新鮮だった。人に媚びない、自由奔放。その当時30歳前後だった千里さんの、ちょっととんがった感じに私はすっかり痺れてしまったのだ。こんなお兄さんがいたらなぁ、と憧れを抱いた。

でも私の千活は本当に地味なものだった。コンサートに行くような熱心なファンではなかったので、会場で「きゃー!千里くーん!」だの「千ちゃーん!」と黄色い声で叫ぶ機会は一度も訪れなかった。歌番組や雑誌の記事を追いかけるでもなく、ただひたすらラジオを聴き、CDを買っては通勤電車の中で繰り返し聴いた。それだけで充分満足だった。千里さんの曲は、曲調も詞の内容も、20代半ば前の私の心にピタリと寄り添って、その当時残業続きで疲れ果てていた私の心を癒してくれた。でも不思議と自分の周囲で千里さんファンと出会ったことは一度も無かったから、千里さん談義に花を咲かす事もなかった。

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その後、90年代半ばで私は日本を離れることになった。残念ながら千里さん情報を集めることが困難になった。私はこちらで結婚をして二人の子供たちに恵まれた。異国の地で足を踏ん張り、あっという間に年月が過ぎて行った。その間、千里さんが日本でのキャリアを捨て、ジャズを一から勉強をするために2008年にNYに渡られた事を風の便りに聞いた。

こちらに来てから20年あまりが経った2016年の日本の夏の終わり。私はネットの情報で千里さんの近況を知った。NYの音大(New School for Jazz & Contemporary Music)を卒業し、ご自分のレーベルを立ち上げ数年が経った頃だった。ちょうど4枚目のアルバム、Answer Julyがリリースされる直前であり、そのプロモーションでの来日があり記事が目に留まったのであろう。

それからネットで千里さんの情報を収集する日々が始まった。先ずは昔のブログに辿り着き、そこから今のnoteへと導かれた。noteの記事を遡って読んだ。千里さんがnoteを始められて半年位経った頃だった。毎週木曜日限定記事を読むためにnote会員にもなった。(先月のnoteからのお知らせで、私がnoteに登録して丸3年が経ったことを知った。)それからと言うもの、千里さんの投稿を読む事が毎日の楽しみになった。読むだけでは気が済まず、コメントをするまでにもなった。ひと昔前までは遠い憧れの対象だった(それは今も変わらないが)千里さんにコメントを読んで頂ける。夢の様な毎日だ。

続いて、今まで発売されたジャズのアルバムを全て配信で集め、徹底的に聴きまくった。それまでの私にとって、ジャズは敷居の高いジャンルの音楽だった。不協和音に馴染めない、リズムもなんだか独特で心安らかに聴く事が出来ない。そんな私がジャズの世界への扉を恐る恐る開けた瞬間だった。他のジャズとは一味も二味も違う、Senri Jazzとの出会いだった。

その当時の最新アルバム、Answer JulyだけはNYの千里さんのレーベルPND(Peace Never Die 、Peaceとは千里さんが渡米時に日本から連れて来た愛犬のミニチュアダックス、ぴちゃんの本名)から購入、手書きのカード、Tシャツと共にNYの千里さんの手により直接送って頂いた。こんな奇跡が!NYから届いたパッケージを受け取った時はまるで夢見心地だった。千里さんは音楽家としての作詞作曲、演奏活動のほか、会社の雑務などもこなす一人ビジネスを今も続けられていらっしゃる。

その後、NYの暮らしや音大でのご苦労、成功について綴られたエッセイ本を購入して読んだ。(「9番目の音を探して」)47歳で日本での一切合切を手放しての渡米。慣れない異国での生活。音大に入学するも、すでにジャズの基礎がある20歳前後の同級生たちに相手にされない日々が続く。ジャズを身につけるために自分の体に流れるポップの血を入れ替えるべくガムシャラに努力をし、腕や手を故障、半年間ピアノに向かえない日々が続く。でも大変な努力の後、やがて先生方や同級生たちに認められるように。4年半かけて音大を卒業し、ご自身のレーベルPNDを設立するまでのお話。同じように海外で生活する者として、いろいろな事に共感しながら瞬く間に本を読み終えた。

千里さんのnoteにはレーベルを立ち上げられてからの奮闘記がエッセイとして掲載されていて、昨年、「9番目の...」の続編が又一冊の本に纏められた。(「ブルックリンでジャズを耕す」)本の出版に際し、noteやその他SNSに千里さんからファンに呼びかけがあり、投票で本のカバーのイラスト(千里さんの手描き)やら字体、帯などが決定された。ファンも一部参加しての出版。楽しい企画だった。

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私が住む国ではこれらの書籍は手に入らないので、この時ばかりは日本の家族に購入してもらい、託送をお願いするか自分の帰国時まで大切に保管してもらっている。9番目...の本は託送で、ブルジャズの方は昨年の帰国時に日本で受け取るようにと楽しみに待っていた。

昨年の日本帰国は娘同行で6月末に決まった。いろいろな幸運が重なり、何とNY経由で帰国出来る事に。NY在住の千里さんは、月一でほぼ定期的にマンハッタンにある日系のジャズクラブ(富ジャズ)で演奏をされている。こちらからは必ず世界のどこかを経由して帰国しなければならないから、富ジャズでのギグに合わせて帰国出来るようスケジュールを速攻で調整したのだった。

日本で一度も千里さんのコンサートに足を運んだ事のない私が、千友さんの間で聖地と呼ばれる富ジャズに行く事になった。何とも大胆な発想だったが、今になって思えばあの時行っておいて本当に良かったと思う。南米に住んでいる私にとって日本帰国はそう簡単に実現出来るものではない。家や家族の都合も考慮しなければならない。チャンスがある時には一瞬でも躊躇してはいけないとその時に学んだ。 

初めてお会いする千里さんは、イメージ通り素敵な方で、私たち母娘を温かく迎えて下さった。そして初めて聴く生演奏。本当に夢のような時間だった。第一曲目のボサノヴァ、House Keepingには涙が出るほど感激した。お会いしてお話も出来て、一生分の運を使い果たしたような気持ちになった。不思議な事に千里さんとは意外と緊張することもなくお話をする事が出来た。千里さんが放つオーラがそうさせたのか。今考えてもとても不思議。最後、自分から求めてして頂いた握手の感触は生涯忘れる事は無いだろう。

ブルジャズの本はその先の日本で家族から受け取ることになっていたが、急遽富ジャズで購入、こちらから持ち込んだ9番目...の本と一緒にサインをして頂いた。

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私にとって宝物。飛行機に乗る時も手荷物で大事に持ち歩いた。(アメリカのイミグレで何故か本が疑われ、パラパラとされた時は焦ったが。)サインして下さる千里さんの写真は、娘が気を利かせて撮ってくれていた。その他にも千里さんを真ん中に、私と娘でスリーショットの写真も撮って頂いた。遠慮する娘に千里さんが「おいで!」と言って下さった事も素敵な思い出の一つ。

今もエッセイは不定期にnoteに連載中で、本のブルジャズの続きが更新されている。エッセイはファンの私たちにとってこの上ない楽しみであると同時に、時にドキドキさせられている。ある時には腹膜炎すれすれの虫垂炎にかかり、術後2日で富ジャズでのギグ、その翌日にはトリオでのリハをこなしていたり。今年の5月には最愛のお父様ご逝去の知らせの直後にアルバム、Hmmmのレコーディングをされていた。私たちがそんな出来事を知るのは決まって暫く後のこと。それまではいつもと何ら変わらぬ笑顔をSNSで見ているから、エッセイを読んでビックリ仰天する。本当にお辛い時はその素振りも見せない。千里さんは本当にそんな方なのだ。

私の毎日のルーティンは先ず千里さんのnoteを優先的にチェックしつつ、最新のアルバムHmmmを含めた全6枚のジャズアルバムを必ず聴くこと。(シャッフルにするのがお気に入り。)
千里さんにとってもこのnoteはマザーシップであるらしい。その言葉を嬉しく思い出しながら私も日々の投稿を読んで、コツコツとコメントを書く。

アメリカ、ヨーロッパツアー、日本ツアーのお知らせ、ご報告を読みながらワクワクする日々が続いている。日本を含めなかなか行かれない環境にいながらにして各国のライブに参加した気分になる。私はもしかしたら一番遠くにいるファンなのかも知れない。それは仕方のない事だし、それでも構わない。自分が応援するアーティストのご活躍を、これからも遠くから見守っていたい。

↑最新のトリオアルバム Hmmmはぜひこちらから。3.7.9のピアノソロ以外はドラムとベースとのトリオ編成。

千友さんであるふわりさんのnoteでご紹介のあったcoloring大キャンペーン(千里さんの自画像イラストに塗り絵をすると、最優秀賞に選ばれた作品が2月発売のシングルレコードのジャケットに採用され、ミート&グリートにも招待される。優秀賞はシングル曲のMVとレコードに名前がクレジットされる。)に応募してみた。ブラジル🇧🇷国旗をイメージして配色を考えたが、後に発表になった曲のイメージとちょっと違ったかも。先ずは無事に届いている事を祈るばかり。

Poignant KissesのMV。このレコーディングはお父様を亡くされた直後に予定通り行われた。

私が今こうしてnoteにいるのも千里さんがきっかけ、私の最初の投稿も約一年前の富ジャズのライブレポートだった。千里さんとの再度の出会いがなければこうして細々と文章を書くこともなかっただろう。その感謝の意味を込めて、一番書きたかったことを心の赴くままにここに書き記してみた。

千里さんとぴちゃん、これからもお元気で仲良く、ブルックリンでジャズを耕し続けて下さいね♡遠くから応援しています!

皆さん、長文にお付き合い頂き、ありがとうございます☆



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