岐阜県民にとっての海、広島県民にとっての海
「水平線が怖い」
妻とまだ付き合って間もない頃、静岡県まで旅行に行き太平洋を一緒に見たときの感想がそれだった。
雄大さや綺麗さではなく、恐怖の感情が真っ先に現れることに正直驚いた。
海なし県の岐阜県出身の私よりも、海あり県の広島県出身の彼女のほうが、水平線が怖いと言っている。
当たり前の話だが、人それぞれ、育った環境によって「海」に対するイメージは大きくことなることを改めて理解した。
この日以降、水平線の見える海辺はデートコースから自動的に外れることになる。
▷岐阜県民と海
(BGM:われは海の子)
私が生まれ育った岐阜県には海がないが、私が全く海と無縁に育ったかというとそうではない。
アウトドアや釣り好きの父は、私が幼少の頃から夏場は決まって海水浴や釣りをしに海に連れていってくれた。
その海は日本海側、若狭湾に面した福井県敦賀の海である。鞠山海水浴場で家族で遊び、さかなセンターでいくら丼を食べた記憶がある。
ゆえに岐阜県民の私にとって、大学に入るまで「海」=「湾に囲まれた敦賀の海水浴場」だった。
日本海では、もちろん水平線は見える。あの先には何があるんだろう?不思議に思うことはあって怖いという感覚はあまりなかった、普段は山に囲まれた田舎街に住んでいるため、馴染みがあまりないというのもあるのだろうか。
それゆえに岐阜県民の私は、海を見ると基本テンションがあがっていたものである。
大学に進学し、静岡県静岡市に引っ越すと海は少し身近なものになった。下宿先のアパートから15分も自転車を走らせれば海に来れる。
大学生の頃は静岡県内はもちろん、全国各地の沿岸部を自転車で旅していたため、水平線は見慣れたものになる。
フェリーに乗って北海道や九州に行くこともあったため、当然船の周りは陸地がほぼ見えず水平線しか見えない。
確かにフェリーに乗ってる時は、少し水平線怖いかも。
大学を卒業した後の私にとっての「海」=「広大な水平線の広がる太平洋」になっていた。
▷広島県民と海
(BGM:瀬戸の花嫁)
妻が生まれ育った広島県は瀬戸内海という穏やかな内海に面している。
彼女が太平洋側の水平線を怖がるのも、無理はない話で、瀬戸内海には、真横に広がる水平線がなく、常に何かしらの島や四国の陸地が見える。
広島県民の妻にとっての「海」=「どこか箱庭的でのどかな瀬戸内海」である。
大和ミュージアムの横の公園のベンチに腰掛けて海を見ながら缶チューハイを飲むのが好きだったらしい。少しうらやましい。
遠距離での交際中、月1で広島に行っていたが、電車の車窓や彼女の運転する軽自動車から見える瀬戸内海を見るのが好きで、広島に行く度に密かに楽しみにしていたものである。
瀬戸内海から離れて、海の無い土地に嫁いできてしまった妻。たまに海が見たいと言うけれど、太平洋はNG。愛知県周辺で、どこか瀬戸内海チックな場所はないだろうか?
琵琶湖や知多半島、鳥羽は気に入ったらしいが、次なるジェネリック瀬戸内海を探したい。
でもやっぱり彼女にとっての「海」は瀬戸内海。
次に一緒に広島に帰省するときは、2人でぼけーっとしながら缶チューハイ片手に、彼女にとっての海を眺めるのをやってみたい。
おわり
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