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春の日

覚えているかい?
あの一面の菜の花畑を。

温かくなり始めたやわらかい空気の中を、踊るように歩いた春の日。
辺りに漂っていたのは、ほかのどこにもない匂いだった。

甘い匂いでもなく、芳醇な香りでもなく、
青い匂いでもなく、爽やかな香りでもない。

それはまぎれもなく菜の花の黄色の匂い。
つかまえようとすれば遠のき、忘れているとふいにやってくる。

菜の花は思い。
菜の花は追憶。
菜の花は君。

白い空の下に広がる黄の野に立つ。
瞳を閉じたわたしの耳に、
こちらへこちらへと、いざなう声がする。

振り返れば
甘やかな風吹き抜け、一面の黄色がかすかに揺れているだけだ。

覚えているかい?
あの天を突く杉木立を。

力強く大地をつかみ、迷うことなく空を目指し、
そしていつかやさしい影を作る。

君は木に寄り添い、木の歌を聴き、木の心に涙した。
本当に泣きたかったのは君だね?

わたしはただ黙って
寥寥と立ち尽くす。

春の日。

覚えているかい?
差し出した手のひらを。
手のひらに乗せた静かな願いを。

わたしはきっと忘れない。
君がいつも笑顔でいられるように。

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