渋谷でさよなら

友人の渋谷ライヴに行った。その途中の山手線の中。あれはたぶん高田馬場。
電車のドアがあく。酔っ払いらしき、ホームにしゃがみこんだ男の人のしゃがれ声。乗るぞ~と言っている。

乗ってきた。そのとたん、よろけて反対側のドアの前に倒れる。周りの女の子たちは、慌てて、逃げるように降りてしまった。
おじさんは、床に座って足を投げ出したまま、独り言とも呼びかけともつかない様子で、ずっとしゃべっていた。

次の駅で乗ってきた外国人男性は、いぶかしげに一瞥を投げ掛け、車内中程に進む。
みんなちらちらおじさんを見る。近くの女の子は、必死にケイタイを打っている。
目が疲れていたのでわたしは目を閉じていたが、何かあれば出ていって助ける気持ちは定まっていた。知らんふりはできない性分。

新宿。周りの人たちは、あらかた降りた。目の前に三つ、空席ができる。そこにそのおじさんが座ってきた。
・・やっぱりなぁ。なぜかこうなるんだよなぁ。

おじさんは二席を一人で占領している。さすがにツメテくださいとは言えず、わたしはそのまま立っていた。
渋谷のハチ公がどうのとしゃべっている。そこで、わたしのほうからつい話しかけてしまった。

「渋谷で降りるんですか?。渋谷になったらお知らせしましょうか?(酔っていて、今どの駅かなど判断できそうになかった。)わたしも渋谷で降りるんで。」

おじさんは、ハチ公が見たいのだと言った。ハチ公っていうのはなんだ?とも言った。
わたしは、犬の銅像なんですよと答え、そこから会話が始まった。

おじさんは横浜にもいたと言う。刑務所だそうだ。二年。窃盗で捕まった、コンビニで弁当二個を盗んだ、腹が減ってたまらかった、と辛そうに何度も、しゃがれた声を、さらに絞り出すようにして言った。

日に焼けて、右半分がひしゃげた相貌の口には、ビールのような泡がたまっており、時々それが飛ぶ。わたしにもかかりそうになる。それにはまいった。

おじさんは、佐賀県出身だそうだ。わたしは宮崎に行ったことがあると言うと、ずいぶんと喜び、宮崎はいいところだ、南国だ、と言い、太い指を折りながら、九州の県名全部を教えてくれた。

おじさんはトラックの運転手で、「東名をぶわ~っと飛ばした」そうだ。
お、何やらうれしい展開に。
「わたしも運転好きですよ。トラックの中型免許も持ってます。」と言うと、おじさんはますます喜び、両手でハンドルを握るまねをする。
「運転なら誰にも負けない。」
「(うふふ。わたしと同じだ。)その手見ればわかりますよ。」

するとおじさんは、両手を広げて、まじまじ眺めた。わたしもそこに手を差し出し、ほら、わたしの手も立派でしょう、と自慢してみせた。
おじさんはわたしの手を握って、働き者の手だと言った。
そう言われるのがわたしは一番うれしい。

年の話などもしたが、おじさんとわたしは、なんのことはない、五才しか違わなかった。(が~ん。)
わたしの年齢を伝えると、まだまだ若い、と言ってくれたけれど、完全に五十歩百歩だよ。五才と十才の子供ではないからね。

渋谷に着いた。
「渋谷ですよ。降りますか?」
ときくと、始めは降りるそぶりを見せたが、どうも降りないようだ。
「わたし降りますよ」と伝え、どちらともなく手を出し、握手した。元気でなと言いつつ、おじさんはなかなか放してくれない。
ドアしまっちゃいますからと振りきり、お元気で、と手を振りながら車外に出た。

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