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21年1月18日(月)「人工笑顔」

コロナ禍において心配されるのは、感染だけではなく表情が失われるという興味深い話を聞いた。つまり人との接触が激減して表情筋が衰えるという論理である。確かに、僕も自宅では1人。会社のM T Gがなければ人と話す機会もないので、ほっぺたはペロンとぶら下がり状態だ。このままwithコロナの生活が続けばブルドックおじさんとおばさんが激増するのではないか…なんて想像したりもする。

ならば強制的に頬の筋肉を使うトレーニングをすれば良いと、安易な僕の思考は僕なりの最適解を導きだした。そのためにまず行うことは常に口角を上げること。仕事中もテレビを観てるときも、食事以外のときは唇の端を上げる!

試しに鏡の前で件の筋肉を使ってみると…おや?目の前の僕の唇の形に既視感がある。

これは、僕がかねてより嫌ってた「アヒル唇」に似ていないか?似てる…いや下手するとそのまんまだ。あざとさを求めた麗しの乙女たちの健気な努力の賜物かと思っていたが、彼女らも表情筋を鍛える故の「アヒル唇!」…だったのか…。

意外な発見をした後に僕は「アヒル唇?」を徹底した。外を出歩くときもマスクの下は常に笑っている。在宅勤務がメインなため、無精髭アリのおまけ付きだ。マスクを外せばヒゲ面の男がニヤけて歩いている非常に怪しい絵面になるだろう。いや構うものか。一度決めたらとりあえずやってみるのが僕のポリシーだ。

その日は歯科医に通院の日だった。いつも通り歯磨きをしてマスクを着用しコートを羽織って家を出た。クリニックは等間隔で椅子が設けられて手の消毒が推奨されている。もちろんこの時の僕のマスクの下は笑みだ。

診察券を毎週顔を合わせるお姉さんに提出する。「お待ちくださーい」間延びする彼女のアナウンスも聞き慣れると愛着が湧く。いかにも若い子が言いそうな語尾の伸ばし。「〜さーい」「〜でーす」「はーい」

ゆとりと言われる僕でさえ、たまにイラッとする話し方だが、仕事が丁寧な彼女とも長く付き合えば好感を抱く。容姿や所作が雑でも、業務として客に損を与えない仕事ぶりは評価を得られる。その証左と言えるかもしれない。

そんなことを考えながら、保険証を受け取ったとき「いつも楽しそうですよね」と思い外の言葉を投げかけられた。明らかに僕が困惑しているのが伝わったのだろう。お姉さんが釈明する。「いつも笑ってらっしゃるんで」

僕が笑顔を意識したのは今日の朝である。いつも僕は笑っていたのか?疑問に感じていると「いつも笑ってるイメージですよ?」と立て続けに僕の知らない僕の印象を明かされた。

てかマスクしてるのに笑顔だと認識できるのか?彼女の返答は「だって目が笑ってるじゃないですかー」

迂闊だった。笑顔というのは口元だけ笑っていればいいものではない。頬の筋肉につられて目尻の筋肉が動くことで「笑顔」ができる。僕は頬の筋肉を衰えさせないために口角を上げていた。しかしそれは人工のスマイルを作り上げる鍛錬にすぎなかったのだ。僕がしていたのは「人工の笑顔」つまり「目が笑っていない」人間になるところだった。

目が笑っていない人を見かけることが多くなった原因は「人工笑顔」の象徴だったのか。それが健全なのかと言えば違うのだろう。でもこんな世知辛い時代だからこそ笑顔も必要だ…。そんなジレンマを抱えながら帰路についた。

でも…あのお姉さんはそんなに僕のことよく見ていたのか…でへへへ꒰ ´͈ω`͈꒱ノ
今度、誘ってみようかなぁ〜ぶへへへ笑

思わずマスクの下で鼻を伸ばしては、目尻が垂れて幸せな時間を過ごした。

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