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21年1月4日(月)「僕を笑った2021年」

世間では初仕事にあたるのだろう。しかし僕は土日勤務も含まれるため今日は休みである。そんなビバ天国の今日の僕の起床時間は朝7時。2日目も起きれた🥺超奇跡。

まだアマチュア作家の僕にとっては休日も平日も、ましてや在宅ワークの概念など持ち合わせてはいまい。日々が「仕事」なのだから。今日はその「仕事」にまつわる話にしよう。

僕が一般企業に勤めている理由は主に2つ。1つは生活費を稼ぐため。至極真っ当だね。そしてもう1つ。プロ作家というものは組織に属するも必ず仕事ができる人間である、という偉い作家さんが仰っていた「戯言」のためである。

あんな従業員を将棋の歩程度にしか思ってなさそうな会社でも「仕事ができる人間であれ」と?そう仰いますか。きっと僕はこの作家の真意を曲解してしまっているのだろう。しかしシンプル成分100%の僕の頭は、迅速に会社内での自分の立ち位置を把握し、現状課題の理解とそれの解決策をバカなりに模索し始めた。

それが昨年の11月くらい。そもそも非正規の僕が会社のために尽力する義理などないはずなのだ。しかし、「作家たるもの〜」あの言葉が良い意味で?僕の心を掻き乱し、常に最適解に向けて思考を巡らすようになったのだ。

そんな状態のまま迎えた昨年大晦日。僕はPCを立ち上げ動画視聴を楽しんでいた。右下に掲示されている現在時刻を、髪の毛程度の意識で確認しながら年越しを迎えようとしていた。そのとき、一瞬だけとある映像が脳裏に浮かんだのだ。走馬灯と表現しても相違ない。あれはもう20年前。兄の左腕にはめていたデジタル時計。年月日まで正確に時を刻んでくれるソレは兄のお気に入りだった。そして恒例だったのが年が明けるその瞬間、まさに「20」が「21」になるといった、年数が上がる瞬間を目に焼き付けるのが兄のルールだった。

僕は右下に掲出されている現在時刻に「2020年」と示されているのが確認できる。そしてこれが大晦日の寿命が尽きた瞬間に、数字を1つ上げるその時を見守らなければならないのではないかと悟ったのだ。いや、正確にはコロナのせいで1年ほど対面していない兄に連絡を入れる良い口実とすら思った。

きっと神の掲示だろう。プロ作家になるために、会社で死力を尽くす僕に付与した試練、義務、ザ・ミッション。僕は兄に電話した。用事なんて何でもいい。「あのデジタル時計の年月日、まだ確認してる?」それだけで良い。些細なリマインドは時に評価されこそあれ、邪険にはされないはずだ。

兄「もうしてないよ」終わった。特に他に話すこともなかろうと半ば投げやりに切ろうとしたとき「曽ヶ端引退したね」と切り返してきた。僕と兄はサッカーが好きだ。2000年あたりの選手の話はテッパンなのだ。曽ヶ端の引退は僕もショックだったので会話に乗る。それがまずかった。気づいたときには0時5分過ぎ。

僕のPCには新顔の「2021年」が僕を笑っていた。僕は最後の最後で仕事を失敗した。

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