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smashing! こころづよきことばを・前

佐久間イヌネコ病院、佐久間鬼丸獣医師&喜多村千弦動物看護士の友人。雲母春己・税理士。雲母は二人の先輩にあたる理学療法士・伊達雅宗と付き合っている。

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電車で二時間強。お得意様からのたっての願いで、雲母は郊外のとある街に出向いていた。この間初めて招かれた伊達の家。ここよりは全然都心に近いのだが、こんなふうに空気が綺麗だった。そんなことをふと思い出す。
先週からここへ来たから、週末恒例の佐久間家での楽しい集まりも、伊達とのチキチキ大喜利大会も、なにもかもお預け状態。「税理士モードの雲母春己」には何の問題も支障もない。だが、仮住まいのウィークリーマンションの一室で「ハルちゃん」に戻ると、途端に淋しさを覚えてしまうのだった。

なるべく伊達にはメッセージを入れないようにしていた。彼との楽しい会話のように、いったん話題が終わって次の笑いに繋いでいく、あの感覚が文字では掴めないのだ。今日も伊達からはきちんと「おはよう」「ごはんたべた?」「おやすみ」「ハルちゃんだいすき」メッセージが届けられた。可愛い。僕の主君クッソ可愛い。ああもう泣きそう。アイタクテフルエル。まさかあの歌詞に共感できる日が来ようとは。

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そんなこんなでお得意様からの依頼も恙なく終了。何のことはない、お得意様の親類で、この街の名士である山之上さんの経理の相談だった。何かしらのこの辺の事情に疎い人間の方が都合が良い、でも腕が立たないと困る、とお得意様は雲母に白羽の矢を立てたのだ。
明日は雲母が帰京する日。山之上さん達は雲母の為に、ささやかな食事会を開いてくれた。指輪をしている雲母に皆が驚き、数人は影で落胆の声を上げてもいた。数々の名物を味わわせて貰い、美味しい地酒を堪能した雲母は、とても楽しい気分で過ごしていた。そんな中。

「…?」

それは、ねっとりと絡みつくような視線。
今回、外部の人間である自分が関わって都合の悪いことでもあったのだろうか。味方がいれば必然的に敵も存在する。資産家同士にはありがちなこと。丁度宴会もお開きになりつつある。雲母は挨拶を済ませ早々にこの場を去ろうと立ち上がり掛けた。

「あ…れ…?」

足が縺れ、雲母はその場に膝を着いた。
先生!足痺れちゃったんですか?皆が笑いながら助け起こそうとする中、それまで離れた席に座っていた一人の男性が、無言で雲母に肩を貸した。

「先生は俺が送ってく。村長あと頼むわー」
「佐斗さんなら背丈も丁度いいわ!先生をよろしくな!」

足どころか、口の中までが痺れて声も出ない。「佐斗」と呼ばれた男はずっと、支える振りをしながら雲母の身体を隅々まで嬲り続けた。そして上背はあるが標準より明らかに軽い身体を横抱きにし、そのまま車の後部座席に押し込んだ。

何か盛られた。あの料理の中に妙な味は感じられなかったのだが、後半に回ってきたあの、名産品であるという微発泡果実酒。ちょっと変わった風味で美味しかった。あの中に入れたとしたら成る程、僕にも判別が出来ない。
後部座席。男に気取られないよう、手足を少しずつ動かし薬が抜けたことを確認する。初見の薬は抜けるのに時間がかかるな。宴会場を出て数十分。そこは人気も街灯も少ない、一見ホテルのような建物。

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ベッドサイドのライトが灯る。頭上に拘束された両手。がさついた手が雲母の身体を這い回る。しばらく好きにさせていると、男は雲母の上に覆い被さり、息を荒げながら唇を重ねてきた。あえて脱力させた表情筋を動かさないように気を付けながら、雲母は甘んじて受け入れる。差し入れられる舌に少し吐き気を覚えながら、雲母は男の唇が離れた瞬間、薄く開いた双眸で男の視線を捕らえた。見る見るうちに男が狼狽する。

「…フフ…失礼。あまり経験がおありではない?」
「っなっ…お前…!」

拘束したはずの雲母に肩を掴まれ、油断していた佐斗は雲母の長い脚に払われベッドから転倒する。雲母の手にはさっきまで両手首に嵌められていた手錠。それをしなやかな指先がくるくると弄ぶ。
僕を拘束したいのでしたら、本物でないとね。フェイクの手錠なんて、外されるためにあるようなものです。ああ…手首に擦り傷が。雲母は手首を摩りながらベッドから立ち上がる。

「おま…な、なんで動けるんだ!」
「ついでに言うと、僕に薬物の類いは効かないんですよ。さっきのは少し食らってしまいましたけどね」

佐斗は雲母を睨み付けたまま動かない。食事会に呼ばれていたのは名士の山之上さんの懇意の人間。この男もそうなのだとしたら、彼に対する恨み辛みではないようだ。皆に敬遠されている様子も全くなかった。ただこの男が放った執拗な視線の意味が、気がかりではあった。

「で、どうして僕なんです?こんな痩せぎすでしかも男。楽しい事なんて何も無いでしょう」
「…あんたを呼んだのは俺だ」
「僕の顧客の親戚の方ではなく?」


「お前、あの「白河」の…弟子なんだってな」




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続きます。


後編コチラ↓

https://note.com/kikiru/n/n95af736758ff


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