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smashing! かのちにおもいはせ

鬼丸はどんな映画が好きなん?
俺は…楽しく終わるやつ。おじいちゃんが好きなやつは、いつもラストの意味がわからんのよ。

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少し怖そうにも思える大きな目。焦げ茶の癖毛は短く刈り上げられている。佐久間柚子丸、鬼丸の祖父。
善宝寺の元住職である柚子丸は、馴染みの映画館が近々閉館するからと、孫の鬼丸を連れそこへ顔を出すのが日課になっていた。

「あ、和尚。こんちわ」
「ゆーせきくん。今日はどんなのやってる?」
「今週はずっとこれですね。割引券出しとくんで、よかったらゆっくりしてってください」

木戸遊石。二十代後半だが、この古い映画館の館長だ。この辺りの区画整理で閉館を余儀なくされ、店じまいを決めたのだという。

「ここ畳んだら、外国にでも行こう思ってます」
「アテがあるの?」
「行ってみたいとこあって」

遊石は柚子丸が言うところの、シュッとした若い男性。ウェーヴの掛かった黒髪を後ろで纏め、大きめの黒いセルフレームで美貌を隠していた。若いのに達観した所があって、六十少し手前であった柚子丸と話が合った。映画好きだった柚子丸は、この映画館に足繁く通った。
まだ6才の鬼丸は、フランス映画が難しいと柚子丸に零していた。それでも聡明で心優しい彼は、映画を最後まで見ては、祖父に「なんか面白かった」そういって笑うのだった。

館内には小さな喫茶コーナーが設えてあって、簡素な紙コップで飲み物が出てくる自販機が数台。けっこう馬鹿に出来ない味がするんですよね。遊石は得意げに柚子丸に紙コップのコーヒーを差し出す。

「和尚けっこうコーヒーうるさそうなのに、うちのは黙って飲みますよね」
「いや、ほんとここの美味しいんよ!自販機レベル超えてる」

鬼丸は買って貰ったオレンジジュースを持って、売店横に飾られた昔のパンフレット類を眺めて回る。先週は白鯨っていう映画を観た。でも前やってた荒野の七人みたいなすごくわくわくするやつも観たいな。荒野の七人も白鯨も、当然ながらパンフレットはこの売り場にはない。
同じクラスの友達は、なんとかロボが合体する朝の番組に夢中だった。見てない自分には理解できなかったけど、その子にとっては何よりも格好いいヒーローがそこには存在する。
ヒーローなんているわけないのに。
そう思ってることは誰にも言わない。誰に諭されたわけでもなく、鬼丸はずっとそうしていた。自分と相手の価値観の違いを、一方的に揶揄する必要を感じなかったからだ。

不意に目をやったロビーの向こう側。祖父の柚子丸が、自販機の影で遊石と抱き合っている。

俺は知ってる。おじいちゃんとゆーせきさんはキスしてるんだ。映画のラストなんかでよく延々と流れてるやつだ。でも俺が映画で見たのは全部男と女だった。おじいちゃんも遊石さんも男なのに、どうしてキスしてるんだろうな。俺たちの他に誰も居ない映画館で、あんなふうに隅っこに隠れてまで。

心が「好き」でいっぱいになったら、キスするんだよ。
祖父はよくそんなふうに言っていた。鬼丸や父や兄、境内の猫にまでも祖父はキスしてまわる質。されたほうは苦笑いしながらそれでも嬉しそう。でも遊石と祖父は全然ふざけてなんてなくて、笑ったりもしてない。見つめ合う余裕もないくらいに近くで寄り添っているだけで。
俺もいつか「好き」でいっぱいになれる人ができるんだろうか。漠然とした未来を思い描くよりも、目の前の彼らをそっと眺めてる方がずっと胸が熱くなった。彼らに気遣わせないよう、鬼丸はそっとスクリーンの扉を開け一人中へと入った。

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映画館からの帰り道。祖父の柚子丸はずっと無言だった。
夕方のお勤め後、鬼丸の兄と軽口を叩いて、そして一人で自室に戻っていった。鬼丸は少し心配になって柚子丸の様子を見に行った。するといつの間にか、いつからそうしていたのか、既に部屋中の荷物が粗方無くなっていて、片隅には小さなトランクがひとつ。

「鬼丸、じいちゃんな、ちょっと出掛けることにしたんよ」
「どうして?」
「じいちゃん、館長さんと外国行くことにした」

お前らにいっぱいお土産送ってやるからな。柚子丸は優しく笑って、鬼丸を抱き締めた。父ちゃんにはちゃんと説明しとくから。そう言って笑う柚子丸の目には、少しだけ涙が光っていた。

その数日後、寺の中から柚子丸の姿が消えた。父の明丸は鬼丸たちに「じいちゃんは友達と旅行に行ったんよ」そう言って淋しそうに笑っていた。鬼丸は複雑な気持ちと心配する気持ち、両方がせめぎ合う心の中、最後に映画館で、あの館長の遊石から聞いた言葉を反芻した。

「俺ね、ちょっと調子が悪くてね。外国のお医者さんに診てもらおうと思ってるんだ」

死んだりするやつじゃ全然ないから。泣きそうな顔の鬼丸の額にちょっとだけ触れるキスをくれた。その時の遊石は本当に儚げで綺麗で、どうしていいかわからなくて必死に祖父の柚子丸を呼ぶ鬼丸に、ごめんね。遊石は申し訳なさそうにずっと俯いていたまま、鬼丸の手を握ってくれていた。

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「鬼丸、なんかエアメール来てる」

喜多村がポストから一通の手紙を持ってきた。中からは簡単な走り書きと写真。そこには懐かしい祖父・柚子丸の日に焼けた元気そうな姿。そして傍らで指ハートを作る、あの館長の姿があった。
鬼丸はくすぐったいような、淋しいような。数十年ぶりに見る二人の姿。あの時理解できなかった事が、今では怒濤のように鬼丸の胸の内に押し寄せ満ちていく。

「うっわ二人とも黒っ!…こっち鬼丸のおじいちゃん?似てないな…」
「うん、俺が小さい頃この、隣の男の人と外国行っちゃって」

電話でばかりだったから、手紙なんて初めて貰った。そう言って佐久間は照れくさそうに笑う。よかったなじいちゃん。遊石さんも元気になってて本当によかった。そんで指ハートてリア充か。あとこの、ギリ・ナングーて…何処?
おじいちゃん達の後ろすっげえ青いな海。いいなあ俺も行ってみたい。喜多村は楽しそうに写真を眺める。自分達の与り知らぬ未来を垣間見たような二人に、佐久間は目を細め、傍らの喜多村の腕をそっと掴む。

「でも、俺は鬼丸がいれば何処でもいいんだ」

佐久間の頬に軽く触れる唇。心が「好き」でいっぱいになったらキスするんだ。祖父がいつも言っていたあの言葉を思い出す。佐久間がぎこちなく返したキスに驚く喜多村を、いつも彼がするように力一杯、目一杯心を込めて。佐久間は抱き締めていた。




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