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smashing! こえなきこえをきくきみを

佐久間鬼丸獣医師と喜多村千弦動物看護士が働く佐久間イヌネコ病院。
本日は日曜につき休診

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喜多村は少し離れたショッピングセンターまで足を運んでいた。今日、佐久間は知り合いの誰それの何やらで帰りが遅くなるらしい。最初にショックな情報を受け取るとその後が全く頭に入ってこないという佐久間情報限定のあれ。喜多村の頭の中には「今日は鬼丸がいない」しか残っていなかったのである。

このショッピングセンターの食料品売り場には珍しい食材が揃っており、しかも値打ちなので、普段は二人でよく買い出しに来るのだ。上の階には普段使いの洋服なんかもあって、なんと言っても用が一度に済むし効率が良い。時短なんだよ時短。喜多村は空いた時間はとにかく佐久間を独占して密着して取材していたいのだ。様々な意味で。

普段は食材選びは佐久間に任せているが、今日は選びたい放題。これ見たことない。これは是非試したい。これはおまけが面白い。独り言を呟きながらカートに食材を放り込む喜多村。
すると後ろからゆっくりと近づいてきた黒い影。全身黒ずくめ。今日はフードのかわりにバケットハットを目深に被っている、喫茶店マスター・岸志田七星。喜多村は覚えのある気配に思わず身構え、振り向いた。こいつの店いつも休みなの?大丈夫なの?

「…喜多村くんじゃん。あれ?院長は?」
「(…音無しの構え怖)今日何時に帰るかわからん」
「そうなんだ…つまんないね」

うん…そうね。珍しく意見の一致した二人。そして何とはなしに並んで歩き始めた。喜多村が手に取る食材をいちいち凝視する岸志田。

「これと、これも、鬼丸が好きなやつ」
「院長どうやって食べてる?」
「パスタ入れると喜ぶ」

岸志田はそっと喜多村のカゴの中を覗く。あれ、これカラスミもとびこも…被ってるな…戻しとくか。岸志田は独断と偏見で好きな方を選び、喜多村に気付かれないようにそっと元の位置に戻す。何度も繰り返されるやり取りに、喜多村という男は「いい」と思ったら何でもかんでもカゴ入れちゃうんだな。院長大変だな。少しだけ同情したりもしながら。でも可愛い子には旅させろって言うしな。納得。

岸志田の影のサポートもつゆ知らず、喜多村は楽しそうに売り場を進んでいく。いつのまにか減ってるカゴの中身。ねあと何買うの?鬼丸の好物。こいつさっきからそれしか言わないな。院長、魚卵が好きなんだな。覚えた。
その後喜多村はブラックオリーブやピクルスを追加。生ハムにフレッシュ系チーズ数点。院長は和食派なのかと思ってた。あこれは俺の趣味。てかマスターは何買いに来たの?

「コーヒーのフィルター」
「あほんと、いっぱい買ったね。全部違うの?」
「うん全然。間違えるとコーヒーの味微妙に変わるから」

とりあえず会計を終え、自家用保冷キャリーに食材を詰め込んだ喜多村が、岸志田に声を掛けた。

「お前時間あったら、飯付き合わない?」

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昼間から酒の飲める小洒落たバル…ではなく、軒先で半ば屋台のように台湾料理を出してたりする店。小腹を満たすには丁度良い。タンツー麺やイカ揚げ団子なんかを数点頼むと中ジョッキが付いてくる。岸志田は設えられたベンチ、喜多村の隣に物珍しそうに腰掛けた。

「買い物したやつ平気?」
「これ保冷が優秀だから。4、5時間は全然持つんよ」

喜多村は道草好きなせいもあって、近隣の買い物ではなるべく車を使わず保冷キャリーを引いて歩く。確かに院長と一緒に買い物して、寄り道して、一杯引っかける。そんであられもない姿も見放題(?)なにそのヘヴンリーワールド。ここにいるのが喜多村くんてのが残念だけど。
岸志田は中ジョッキをほぼ一気飲みし、炒めビーフンを頬張る。さっきから佐久間の惚気しか話さない喜多村に適当に相槌を打ちながら、喜多村の零したりするやつを無意識に拭いていた。

「でさ、鬼丸はそう言うんだけど」
「…喜多村くんちゃんと食べないと。服汚れるよ」

喜多村は、一旦距離を詰めるとあとは気にしない質らしい。岸志田が佐久間を気に入っているのを知っていても、ちょっと叱る程度で済ませている。やんちゃな猫を窘めるように。自分が本気出したらどう出るのかな、なんて。岸志田は「IF」を考えるタイプではなかったが、そんな自分の事を見透かされているのかもしれない。誰に対してもあと一歩。踏み込むことをせず己の「テリトリー」の中で生きてきた。
ある日そこへ佐久間が自然に入りこんできた。だが喜多村は境界線の一歩手前で、岸志田の出方をただ見ている。佐久間の大事なものには絶対に手を出さない。そんな決意を持って。

「院長は皆に優しい。ずっとあんな感じ?」
「うん、ていうか鬼丸は、声を上げられない、そういう奴の声が聞こえるんじゃないかな」

初対面。岸志田が道路に散らかした荷物を一緒に拾い集めてくれた。こっちへ越してきた俺が人見知りなのを感じ取ったのか、商店街の皆にもそれとなく声掛けしてくれてたのを知ってる。院長は世話焼き。

そんで、世話焼きたがり。覚えた。

中ジョッキおかわりの催促をしながら、喜多村の口の周りについたソースをティッシュで乱暴に拭ってやる。こんな風に無意識に相手に世話を焼かせる喜多村の無邪気さに、佐久間を深く理解し付き従う潔さに、今更ながら、羨ましい、そんな気持ちに似た何かを感じずにはいられない岸志田だった。





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