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smashing! ほしかったのはあなたと

ダミーを作る癖。大事な物ほど必ず用意する。物そして人であっても。もし無くしてしまってもそれなら大丈夫。だけど最後に手元に残るのはいつだって、いつも身につけていた偽物のほうだった。
しまい込んで安心していた「本物」。でも蓋を開けたらそこはいつも、
空っぽなんだ。

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「ハルちゃーん!忘れ物だいじょぶ?」
「すみませんお待たせしました。これで全部です」

佐久間イヌネコ病院から少し郊外に位置する伊達の平屋。月に数日、雲母は伊達と一緒にここに滞在するようになった。街からさほど遠くないにもかかわらず美しい自然の残るこの地が雲母はとても気に入っていた。それもあってかこうして数日後自宅に戻る時、得も言われぬ淋しさで胸が痛んでしまうようになった。

「またすぐ来れるじゃん、俺は今からハルちゃんとこで一緒するし!」
「…僕すっかりここが好きになってしまったみたいで」
「俺もおんなじくらい、ハルちゃんの家も大好きよ?」

伊達が雲母の手を取り口づける。聞こえるのはヒグラシの輪唱。空気の綺麗なところでしか耳にすることが出来ないその音。まだほんの少ししか馴染んでいないのに懐かしく思える。伊達が開けてくれた助手席に入りながら、優しく手を取る掌を緩く握り返した。

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「優羽くん…掃除までしてくれてるとか!あっ見てハルちゃん!ヒマワリだヒマワリ!」
「え!!いつの間に!」

二人はルーフバルコニーに通じる窓を開け外へ出た。友人で庭師である小越優羽にこの庭園を任せているのだが、ついでにと言っては留守中の家の手入れまできっちりとやっていてくれる。その小越は庭を夏仕様に仕上げてくれたらしく、何本もの大輪のヒマワリが空に向かい花開いていた。

「ここもすっかり夏なんですね…」
「俺こっちに来ても、あ帰ってきたって思うんよ」

雲母自身で作ってきた「居場所」ならこれまでもいくつもあった。戻れる所があるという幸せは、とうの昔に失ってしまったけれど。
伊達は雲母の「たったひとりの家族」でありたいと告げた。もう自分は一人ではない。その思いはそれでも、心強くはあっても自らを強くするどころか、もはや伊達の存在なしでは足下も覚束ない自分を再認識するだけ。彼はもう自分の「居場所」そのものだから。

一人で立っていた自分を、うまく思い出すことが出来ない。
そして、大切なものが多くなりすぎて。
作るダミーが追い付かない。

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雲母に荷物の片付けを任せ、伊達は少し早めの夕食の支度にとキッチンに立つ。最近はお互いの家を半々で行き来しているため、食材は殆どが冷凍保存の利くものに。それでも嬉しいことに今日は朝、向こうの庭で採ってきた野菜がある。簡単な下拵えを終え、リビングに戻ると雲母がソファーに凭れたまま軽い寝息を立てていた。珍しいこともあるなあ。あら眼鏡したままとか。小さく笑いながら伊達は雲母の眼鏡をそっと外し、ローテーブルの上に置く。その無防備な寝顔を見つめながら、ソファーの側に腰を下ろした伊達は凭れるように雲母の胸元に顔を乗せた。

今日何故か雲母に元気がないのを感じ取っていた伊達は、はじめはいつもの「ホームシック」だろうと思っていた。あの郊外の緑溢れる家が、二人にとって楽園のようになっていたから。けれどあの家も、そしてこのペントハウスの雲母の自宅も、二人でいられるならそこが至高の住まいだ。伊達はそう思っていたのだが。

雲母には家族がいない。もともと親戚も絶えていたというが、親戚だらけで賑やかな家で育った自分とはなにかしら相容れないもの。そんな雲母の抱えるものが如何ほどのものなのかは分からないが、彼の心の中に住まうことを許された今、その心の全てを預けてはくれないだろうか、信じてくれないだろうか、そんな思いも常に伊達の中にはあった。

雲母は大事なものができると、すぐにレプリカを作る。マスターキーであったり、自転車の鍵であったり。当たり前に作ったり持つことのできるもののほか、伊達の贈ったプラチナリング。それもすぐに特注で複製していた。
伊達は気付いてすぐそのレプリカを雲母の指から抜き取り、遠くへ放ってしまった。普通だったらそれこそ一大事、ダミーとはいえ彼の大事なものには変わりないし、値の張る物だからと躊躇はしたが、考えるよりも先に身体が動いてしまった。

持っていて欲しくなかった。俺には代わりなんていないんよ。
ハルちゃん、君が唯一なのと同じ。

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「…あ、すみません僕眠ってしまっ…あれ?」

いつのまにか伊達が雲母に頭を乗せ床に座ったまま眠っていた。何か夢でも見ているのか、へらりと垂れた目元でふにゃふにゃと何か言っている。あヨダレ。なんですかこの間抜けな顔は主君よ。吹き出しそうになりながら雲母はそっと身体をずらし、伊達をソファーに凭せかけた。

少し眠ったら気が落ち着いたらしく、雲母は眼鏡をかけ、身体を伸ばしつつキッチンへ向かった。冷蔵庫を見ればなんらかの下拵え。ということはあれをああしておきますか。包丁スタンドから気に入りの包丁を取り出すと、何がどうしたのか、柄と刃とがぱっきり、離れてしまった。

「あ、でももう1本あったはず…」

探しかけて、雲母はふと手を止めた。ここにある包丁は使いやすいからと言って全部伊達が揃えてくれたもの。だから、レプリカもスペアも、当然ながらここにはない。なのに「本物」が壊れてしまった。

「…どうしたら、いいんだろ…」

どしたのハルちゃん。力なく項垂れた雲母の側に、いつのまにか伊達が立っていた。

「伊達さんこれ、包丁が、壊れてしまって…」
「どれどれ」

おいしょ。伊達は柄と刃の様子を見、あっという間に嵌め込んでしまった。これねえこういう造りなんよ。バラして洗えるから便利よね。そう言って笑いながら雲母に包丁の柄側を差し出す。

「直す…そういう選択肢は考えたことがなかった…」
「んん?」
「…いえ。ありがとう伊達さん。助かりました…」

壊れたらこうやって直すこともできる。本物は自分が手放さなければ、ダミーの影に隠してしまわなければ、全ては自分と共に在り続ける。失いたくなかったんだ。ああ、だから僕は、あの原風景の中にずっといたいと思ってしまったのかもしれない。

なにか、掴めた気がします。「本物」の感触を。
僕はまたひとつ、あなたに救われた。

「ねハルちゃん!ここのお風呂は更に色々広くて便利よね。俺そういとこも大好きなんよ」
「ンフ…僕も、そう思います」

その前に包丁仕舞って、と。ご飯にしませんか?雲母と伊達のお腹が同時に、クゥ、と鳴る。腹が減っては戦もキジョーイえちもできないんよ。よくわからない理論を力説しながら冷蔵庫を開ける伊達。今日はどんなご飯なんですか?伊達に緩く抱きつきながら、雲母は楽しそうに笑う。

耳に残るヒグラシの唄。小越の植えてくれたヒマワリ。伊達の直してくれた包丁。そして伊達から与えられる全て。そう、全ての「本物」は自分と共に在る。

自らが壊してしまわない限り、こうしてずっと側に。


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