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smashing! しらないをしる しあわせを

佐久間鬼丸獣医師と喜多村千弦動物看護士が働く佐久間イヌネコ病院。近所の商店街、行きつけの喫茶メケメケのマスター・岸志田七星。

プリンは硬いめがいいなあ。

とある夕方、買い物途中の佐久間が独りごちた言葉を、その半径10m以内に位置していた岸志田の耳は、フルボイスで拾っていた。大好きな院長の独り言を拾えた幸せ。

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喫茶メケメケに新メニューが追加されようとしていた。レトロな固めの蒸しプリン。甘さ控えめ、カラメルの苦みが利いたその試作品は、何故だか無駄に大きかった。

「たっぷり食べたいって思うじゃん」
「何個か注文すればいいのに」
「なんか得した感じになるの。あすっげ美味し!これ完璧!」

佐久間の好みをリサーチすべく、協力を依頼したのは彼と仲の良い友人、結城卓。この店にも頻繁に訪れる「漢の中の漢の娘」は、窓際に座るだけで見事に「客寄せ」になってくれたりする。
レトロ風喫茶店でカフェオレボール大の蒸しプリン(両手一杯って事ですね)。話題性としては悪くないが、ここはそんなに流行ってくれなくてもいい。それに提供できる量にも限界がある。

「裏メニューてことなら…」
「あ、それもアリだよね!俺ら来た時ちゃんと出してね?」
「わかった。ありがとうパンダちゃん」
「誰がパンダちゃんや」

ブレンドおかわり!裏プリンを既に3個平らげている結城。こんな細くて小さいのにお腹は無事なんだろうか。要らぬ心配をよそに結城は更にサンドウィッチも追加注文。うん…院長の関係者は大食い。知ってる。

「マスターはさ野外フェスとか行かない?俺チケット取れるよ?関係者席なっちゃうけど。プリンいっぱい食べさせて貰ったお礼」
「わ、すごいね。うんでも…大丈夫。ありがと」
「今度の、あんまり好みのバンド出ないのかな?」
「…俺の好きな、ミュージシャンはね」

もうほとんどこの世にいないんだ。

初めてその音を知った時から溢れ出た沢山の想いは、気付けば既に行き場を無くして堆く積もる。黒い円盤に刻まれた溝をただ追うしか無かったりする。聴きたいです。観たいです。ただ一度だけでも、ステージに立ったその姿を見られたなら、それ以上の幸福はないというのに。
彼らを知ったのが遅かったのか、あるいは早すぎたのか。

「でも知れてよかった、俺もそう思うよ?」

知らないで終わるより全然、ね。結城がふわりと笑う。そうだね。岸志田の大きな目がすぅ、と三日月形に細められた。

「ねえねえ、ならライブハウス好き?今度ね俺の友達が出るの。ワンドリンク2000円で対バン3つくらいで…」
「面白そう。何系?」
「えっとね…」

まさか結城と音楽の話になろうとは。知らないことだらけだ俺も。分からないこと、知らないより知ってたほうが面白い。こんなふうに。そういや院長の好きな音楽、ちゃんと聞いたことなかったっけ。今度教えて貰おう。院長のことも。聞けそうなことは全部。


院長のための裏メニューの裏プリン、ご馳走しながらでも。





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