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ポートレート04 「きせき」

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高校で教壇に上る喜多村の父・千月は帰りが遅くなることが多く、一人っ子だった喜多村千弦の世話と家事を家政夫に任せていた。当時の喜多村が一番懐き、一番長い時間を過ごした家政夫は本松潤。お気軽にマツジュン、とお呼びください。が口癖の「濃眉フェイス」の二枚目であった。

「千弦くんさ今日なにがいい?」
「パパも好きだからうどんがいいかな」
「自分の好きなの言えばいいのに。先生の分は後で作るからさ」
「いいんだ。本松さんのうどん好きだから」

喜多村は聡い少年で、どうしても帰りの遅くなる父を責めたり、大人の気を引く悪戯を仕掛けたりもしない。昼過ぎから喜多村家入りしている本松に学校や部活のことを面白おかしく話し、キッチンのカウンターで宿題をし、リビングのソファーで少しだけ横になる。その間に出来上がる夕飯を心待ちにしているようだ。

テーブルの上、乱雑に置かれた学生鞄から覗くプリント。本松はそっと手に取ると、少しだけ微笑んでテーブルの上に戻す。

ー 進路調査表・獣医になれる学校希望 ー

喜多村は本松が来る数年前に亡くした犬を、ずっと心の中に住まわせている。当時のことを口にすることはほとんどない。ただ一度だけ、喜多村が机の奥にしまっていた写真を本松にも見せてくれた。焦茶色のくるくる巻毛の中型ミックス犬。名前はリイコと言った。

帰る時には声を掛けてほしい、だいぶ打ち解けられた頃に喜多村に言われた言葉。目を覚ました時に誰もいないのが怖いんだ。独り言のように呟く喜多村に、本松はその願いを叶える約束をした。ぼっちゃんを怖がらせないようにしますね。それ名前じゃないとちょっと恥ずかしい。二つ目の希望もなんなく叶えられた。

「千弦くん、もうすぐご飯だから着替えておいで?」

本松に軽く肩を揺すられ、喜多村はすぐに目を覚ました。目の前の本松に安心したように「ニカッ」と笑い、すぐさま自室に向かう喜多村を見送りながら、旦那様と同じ笑い方だな。喜多村によく似た彼の父・千月を思い出していた。

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「本松さん辞めちゃうってほんと?」
「うん、なんかね実家の方が忙しくなるからって。まだ時期は決まってないけどね」
「そうか…」
「でも、お前が高校出るまでは続けたいって。パパにそう言ってくれたよ」

気づけば喜多村は畑の広がる裏庭に突っ立っていた。足元には夏の終わりに収穫を終えた野菜や西瓜の枯れた蔓が、きれいにまとめられていた。しゃがんで足元の土に触れる。ふかふかでよく耕された畝。喜多村の父と本松はよく二人でここを楽しそうに手入れしていた。
自分が高校を出て大学に入れば、実家を出ることになる。必然的に本松とも毎日は会えなくなる。それでも、家にずっといてくれるのだと思っていた。たまに立ち寄ればいつでもあの笑顔に会えると思い込んでいた。

いつでも会える、それこそが奇跡だなんて思ってもみなかった。

「千弦くんちょうどよかった!サツマイモ一緒に掘ろっか!」
「本松さん…」
「…ひょっとして先生に話聞いちゃった?」

珍しく辛気臭い顔してる。本松は笑いながら喜多村の頭をくしゃっと撫でる。ご心配なく。俺の実家ねすごい近いからしょっちゅう様子見に来るよ。喜多村の目が驚きと喜びに見開かれた。

「えそうなの !? 」
「まだ先生には内緒なんだけどね」

悪戯っぽく笑う本松につられて笑い出す喜多村。あーもお安心したらお腹空いた。そう言ってサツマイモの畝に向かう。ちょっとだけ緩んだ涙腺を持て余しながら、喜多村は率先して鍬を動かし始める。喜多村の胸の奥で燻っていた寂しさはこうして「いつでも会える奇跡」を約束してくれた本松によって一掃された。

「…本松さん、その内緒って、なんで?」

いっこ大きな願掛けしてるから、内緒。喜多村の問いに本松は答えなかった。そして思いついたように振り返り、綺麗に微笑みながら言った。


そうそう千弦くん、その時はちゃんとオレのことーーー

マツジュン、とお呼びください。ね?


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