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smashing! こころづよきことばを・後


「白河夏己」

事故で家族を失った雲母の元後見人。そして雲母の持つ職業資格全般の師。彼は数多くの顧客を抱えた敏腕弁護士だったが、それゆえに敵も多く、雲母が彼の元を離れる頃には既に事務所を畳み、フリーの弁護士に転身していた。曲がったことも真っ直ぐなことも、筋道を立て完璧な理論で解明する。今も尊敬してやまない彼。ただし仕事の面だけではあるが。

「白河先生を恨んで?」
「…全て壊してやりたいだけだ。あいつは俺を切り捨てやがった」

師である白河のことは、雲母は今も全身全霊で信頼している。この男の言い分は十中八九、自らの考えを通したいが為の思い込みに過ぎないと確信する。無様に狼狽える様がその証拠だ。

やっと、合点がいきました。

「…ベッドに戻って足を開け。こいつを潰すぞ?」

佐斗の指先には、雲母の指を飾っていたプラチナ。雲母は眉を潜め、溜息交じりに言い放った。

「かまいませんよ。お好きなように」
「大事な物だって…宴会の時言ってたじゃないか」
「それはレプリカ。埋め込まれてるのはスワロフスキーです。紛い物でも拘りましたからね、少々胸は痛みますが」

雲母はオットマンの上に放り出されていた衣服を身に付けながら、茫然と座り込んだ佐斗を見やる。この男がこういうことに慣れていないようで助かった。腕力では叶わないことは僕自身が一番よく知っている。久々に緊張させられましたね。自嘲するように微笑む。佐斗の手からカーペットに転がった指輪を、雲母はそっと掌に隠した。

「…白河先生にご報告させて頂きます。今回僕が被った被害そして、あなたの仰る「恨み」とやらの件も」

本当に大事なものは、そう簡単に他人が目にすることは叶わないんです。僕の「オリジナル」の指輪も、あなたの中にある「本当の事」も。

うつろな目で蹲る佐斗には、届いていないようだった。雲母がホテルの部屋を出るとき佐斗は「俺は悪くないんだ」そう小さく呟いた。

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タクシーの中、雲母は深い溜息を付く。
佐斗。あの男の経歴も内に秘めた慟哭も、自分の与り知らぬ事。だけどその気持ちは、他に理解されない無念さは、雲母には分かるような気がした。
「なんとか穏便に済ませて頂きたいです」取り急ぎ打った白河弁護士宛のメールの末尾に、そう付け足した。

佐斗から取り戻した指輪をはめ直す。疲れた。見れば時刻はもう日付を跨いでいた。本当なら今日の夕方には帰れるから、駅やなんかで皆のお土産をゆっくり選びたかったのに。
これから風呂に入って、伊達さんにおやすみのメール入れて…いつもなら頬が緩む幸せな時間。なのにずっと、あの男に触れられた部分が気持ち悪くて仕方がない。

ウィークリーマンションのエントランス。誰かがソファに座っている。こんな夜中に?さっきまであの男と尋常でない状態で対峙していた雲母は、人の気配に強いストレスを感じ立ち竦んだ。

「あ!ハルちゃーん…(小声)」
「……ぇ…」

そこには伊達がいた。ソファをぴょんと跨ぎ、雲母の前に小走りでやってきた伊達は、雲母を思い切り抱き締めようとした。雲母の身体は反射的に彼を避けた。しまった。聡いこの人に勘づかれてしまう。
伊達は不思議そうに雲母を見つめ、今度は手を握り指を絡める。雲母の袖口から覗くのは、微かな擦り傷。伊達は雲母の手を握ったまま指輪を指先で撫で、暫く考えて向き直った。

「ごめんなさい…ちょっとびっくりしてしまって」
「いきなり来ちゃった俺が悪いの。部屋入ってもい?」
「…もちろん…」

雲母の強張った頬が漸く緩んだ。伊達の掌の温かさが、今は心から嬉しかった。

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伊達を部屋に招き入れると、雲母は早々に風呂へ入った。バスタブに湯を張りながら、すぐに叩きつけるような勢いのシャワーを全身に当てる。どれだけ浴びても「感触」が消えない。たいした目にも遭ってないくせに、人ってどんだけ繊細に出来てるんだろ。雲母は自嘲した。その時。

「お邪魔しまぁす!」

伊達がいきなりバスルームに乱入。驚く雲母を後ろから抱き竦め、一緒にバスタブの中に入り身を沈めた。今日はハルちゃんを抱っこできるポジション。伊達は嬉しそうに雲母の首筋に頬を寄せた。

「…ちょっと、仕事絡みでね、やなことあって」
「ん」
「…でも、心配すること、何もないですから…」
「ん」

オッケ。俺がいまから全部きれいにしたげる。伊達は低い声で囁くと、雲母の全身に優しく触れ始めた。逃げを打とうとする雲母の身体からは、徐々に力が抜けていく。あの「感触」がまるで魔法のように払拭され跡形もなく消えていく。忘れていく。そのうち何に怯えていたのか、何に抗っていたのか境界線は曖昧になり、伊達の熱をいつもよりも奥深くに感じながら、雲母は無我夢中でバスタブの縁に縋り付いていた。

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「車で来たから、道の駅寄ってこハルちゃん!」
「すごい。電車よりゴージャスになりますね!」

雲一つない晴天の午後。雲母のウィークリーマンションを引き払い、荷物の発送やいくつかの手続きを終えた二人が、喜び勇んで向かった駐車場。そこにあったのは何故か軽トラック。
これでここまで!? 雲母が驚く中、俺のさバッテリー上がってて。近所のおっちゃんに借りた。楽しそうに雲母を助手席に手招く伊達。
狭く居心地の悪い車内。雲母の足が信じられない角度に曲がっている。これ急ブレーキ掛けたら僕終了ですね。その一言が伊達の笑いのツボにハマり、暫く動けないほど二人で笑った。

伊達は急に真面目な顔で雲母の頬にキス。
全部なくなっても大丈夫。俺がいるから。

これもなくて大丈夫。徐に雲母の指輪を引き抜くと、伊達は遠く水田の向こうに放り投げた。唖然とする雲母に、本物が一個あればいいんだ。失くすのなんて怖くないよ。失くしたらまたあげる。俺がいるかぎりずっと、ね。
あなたの言葉は僕を何よりも奮い立たせてくれる。雲母は少しだけ神妙な面持ちで、伊達の額にキスを返す。
伊達は雲母を乗せた軽トラックを、思い切り発進させた。


そして雲母の携帯には元後見人で師・白河からの返信。
そこにはたった一言。

ー 大丈夫任せろ。私がついているから ー


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前編コチラ↓

https://note.com/kikiru/n/nf676bb39c0ee


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