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smashing! すきのうらもおもても

佐久間鬼丸獣医師と喜多村千弦動物看護士が働く佐久間イヌネコ病院。本日は日曜により休診。

喜多村が熱を出した。

一見まったく変わった様子も見せず、いつものように沢山食べ、いつものように風呂にも乱入してきて、それなりのことを成す最中に佐久間が気付いた。中で感じる温度、そして合わせた唇も、かなりの熱を持っていたから。
翌朝、なかなか起きてこない喜多村を佐久間が見に行くと、ベッドの中、赤ら顔でぐったりする喜多村がいた。

「つらい」
「ちょっと我慢な。薬効かんかったら明日病院行こ」

喜多村は、具合を悪くしたことが殆ど無い。
熱も出ない、腹も壊さない、メンタルは瞬間湯沸かし器。あるのは軽い低血圧くらいだから、今回はとても珍しいパターン。幸い今日は休日。俺看病したるよ。佐久間はそう言って本日の外出を粗方取りやめたのだった。

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「待って。今日院長は?」
「いつもの看護士さん、熱出したんだってさ。そんで今日お休み」
「…あいつが熱…看病…看護士…ナース…」
「あれ?岸志田さんどこいくの?」

商店街内のコミュニティセンターで開かれる将棋教室。毎週空いた時間には佐久間と喜多村もコーチを請け負っている。常連の寿司屋の大将は、たまたま耳にした情報を岸志田にも伝えたのだった。ナース…コス…お注射…岸志田はぶつぶつと独り言を垂れ流しながらセンターを出ていった。

肩までの黒髪を後ろで束ね、いつも黒づくめの姿形。独特の雰囲気と美しさを併せ持つ、岸志田七星、25才。喫茶メケメケのマスター。
先日、商店街に越してきてすぐ店の前で荷物をぶちまけ、通りすがりに回収を手伝ってくれた佐久間院長に惚れ込み、事あるごとに自分の店に院長を招いたり、佐久間イヌネコ病院に奇襲を掛けたり、看護士・喜多村のハイキックを軽く受け流したりしていた。

「…お注射…ぶっといのお願いします…ミニスカ…の下はノーパ…」

それはいかんんんんん!!!!!周囲が引くほどの怒号。岸志田は全速力で佐久間イヌネコ病院に向かっていった。

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玄関に取り付けられたカウベルが轟音を…ていうかもはや梵鐘連打みたいに聞こえるんだけど !? 佐久間が焦ってドアを開けるとそこには、血相を変えすぎて血の気ゼロになった岸志田七星が茫然と立っていた。

「…ナナセくん?え…どした?」
「院長…よかった無事だった…」

大きな溜息を付き玄関に崩れ落ちるように座り込む岸志田。無事って?ナナセくん何て?動かなくなった岸志田を引き摺って、佐久間は彼をとりあえず家の中に入れた。

「千弦が風邪みたいで。誰か拾うといけないからむこうで寝てんだよ」
「院長が心配で…」
「俺こないだひいてさ、多分それがうつったんかなって…」
「…ちゃんとパンツ履いててくださいね」

…パンツ?…
佐久間は岸志田の言葉の妙に一瞬気が遠くなりかけたが、なんとか踏み留まった。そうきっとナナセくん腹が減っとるんだわ。時計の針はもうすぐ正午。

「あのよかったら、ご飯食べてかないか?」
「…あ…ハイ…」

大人しく頷く岸志田の目が、少しだけ輝いた。

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佐久間家リビング。岸志田の目の前には圧巻のワンプレートランチ。プレートも大きいが、各品の量が多い。デミグラスソースの掛かったハンバーグはなんとかフォンplusくらいあるし、ご飯は優に2膳分はある。てんこ盛りサラダの横には、こんがりと揚がった櫛切りポテトがこれまた山積み。

「あり合わせで悪いけど…」
「夢みたい…オレ、こんな豪華な飯食ったことない…」
「…そっか」

気に入ってくれて良かった。佐久間が笑うと、岸志田は照れくさそうに箸を手に取る。すごいな究極のお子様ランチみたい。オレ憧れだったんです。佐久間もつられて赤くなりながら、二人はテーブルの差し向かいで黙々とプレートごはんを食べ始めた。
ふと背後にあらぬ気配を察した佐久間は、弾かれるように振り向いた。そこには、マスクを何故か二重に装着し、8時間持続・冷えるんですシートを額に貼り付けた喜多村がゆらりと立っていた。

「…千弦、大丈夫か。何か食べとくか?」
「んう…」

ちょ待ってて。佐久間がキッチンに向かう。喜多村はよろよろと佐久間の座っていた隣を陣取る。岸志田はわざと目を合わせず食べ続けた。全くもって落ち着き払っている。ガヤには空気がしんどい。

「…なにしに来たん…」
「…今日院長が将棋休んだから。大丈夫かなって」
「具合悪いの俺だから…」
「ていうか、ぶっといお注射されてないかなって」

ヒュッ。喜多村の喉が妙な音を立てる。なんて?喜多村がゆっくりと聞き返すと、岸志田がレタスを頬張りながら訥々と解説を始めた。

「えっと、あんたが熱出して、院長が看病して。物足りないからナースコスしてってあんたが院長に変態コスさせて、ミニスカの下ノーパンツの院長にぶっとい…」
「待て七星。お前の世界に追いつけない」

お前の大丈夫の基準は鬼丸の貞操のなにかしらか。喜多村の苦言にも耳を傾けず、岸志田は鼻歌混じりにハンバーグを旨そうに味わう。そのうちキッチンから佐久間がトレー片手に戻ってきた。そこには一人用の鍋に、あさつきの緑が散った雑炊。

「ちょっとでも食べて、もう寝な千弦」

岸志田の目が雑炊にロックオン。佐久間は喜多村の前にトレーを置くと、自分もプレートごはんを食べ始める。鰹出汁のいい香りは、不思議とデミグラスソースのそれにも上手く融け合う。しばらく岸志田の様子を眺めていた喜多村は、添えられていた茶碗に徐に雑炊を取り分け、岸志田の前に差し出した。

「え」
「…鬼丸のおじや、食ったことないだろ。見舞いの礼」

岸志田は恐る恐る雑炊を口にする。一瞬見開かれた目がすうっと三日月形に細くなる。あ、これ美味しいって顔。喜多村は笑いながら佐久間に耳打ちする。喜多村は直接一人用の鍋にレンゲを突っ込んで大胆に食べ始めた。

「すごい美味しい。院長の特製?」
「いや、普通に出汁取ってご飯と具入れて…」
「鬼丸のは全部、鬼丸が入ってるから」

…ふうん。岸志田はそれきり黙り込んで、プレートも雑炊も平らげてしまった。今日何も持ってきてないけど、これ。ポケットから出してきたのはしわくちゃになったコーヒーチケット。

「院長、喜多村くん元気なったら、また来て」
「え俺は?」

あんたは言わなくても付いて来るんだろ。岸志田は楽しそうに笑いながら鬼丸の手を取り、甲に素早くキス。あんぐりと口を開け真っ赤になり始める喜多村を横目に、また来て。唇だけでそう佐久間に伝えた。

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「だからお前いつまで拗ねてんの」
「…不覚だった。完全に油断してた。もうやだあいつ」
「悪かったよ俺も…あっという間で」

佐久間の膝に上半身ごと乗っかったまま動こうとしない喜多村。尻尾がしおしおに項垂れてる気がする。尻尾ないんだけどな。岸志田の、隙あらばのスキンシップはけれど微笑ましく、佐久間に少しだけリイコや昔飼っていた犬のことを思い出させた。だから。
喜多村の顔を両手で包み込み、佐久間はそっと唇を合わせた。驚いて固まったままの喜多村の中に舌を差し入れ、ゆっくりと這わせ、おずおずと絡めていく。

漸く離れていく唇。佐久間は視線を逸らし、喜多村に告げる。

「俺がこうしたいのは、お前だけなんだから、その…」

心配なんかすんな。

聞こえるか聞こえないかの微かな声が、喜多村の胸に深く刺さる。ごめ風邪またうつっちゃうかも。俯く佐久間の手を引き倒れ込んだその身体ごと、喜多村は不器用な願いに応えるかのように、難なく全身で受けとめていた。


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