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smashing! きこえたこえのゆくえを・前

人と人との間にはどうにもならないことがある。思うようにいかない、気持ちが通じない、わかり合えない、誤解、曲解。
それでも時折、見事に通じる相手がいるのも確かで、その達成感たるやこれまでの失敗を塗り替えて余りあるもの。佐久間にとって恋人の喜多村が、今はそんな存在だ。

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遡ること約10年前。
高校卒業まであと数ヶ月。受験を控えた佐久間鬼丸は、今日も早朝から寺の掃除や勤行の手伝いに追われていた。数人の僧侶見習い達と寝食を共にする生活。他人が周りに居るのが当たり前の世界。もともとが人見知りの佐久間だが、他人と距離を取りながらでもできる生活習慣は、そんなに嫌ではなかった。苦手なら入り込まずともかまわない。至極シンプルな道理。

寺に在籍している僧侶見習い、と言う名の居候の一人。バス停のベンチで茫然と座り込んでいたところを兄の達丸に拾われた男。中肉中背だが一見繊細な印象を受ける美しい顔立ち。伊々田静馬。
寺に来てからは見る見る生気を取り戻し、本格的に僧侶を目指したいと、若き住職・達丸の元、毎日修行に励んでいた。


「鬼丸くんは、お坊さんにならないの?」

皆と一緒に境内の掃除をしていた時。さほど親しくなかった伊々田にいきなりそんなことを聞かれ、佐久間は少し戸惑った。

「俺は…外の大学行く、んで」
「そうなの…」

伊々田は心から残念そうな顔をした。いや「残念そうな振り」をしたのかもしれなかった。佐久間はこの、一見何を考えているかわからない伊々田の事が少しだけ苦手だった。この寺に居る人間とはそれなりに打ち解けられている。だがこの男とはそれが出来ないでいた。

達丸が側に居る時は何も感じない。だが達丸が檀家に挨拶に出掛けたりしたとき、佐久間は異様な気配を常に感じていた。一人になるべきではない。心の奥からの警報がいつも佐久間を戸惑わせていた。なにが危険なのか、ざわつくのか、まったく理解が出来なかったけれど。

達丸をはじめとする数人の僧侶達が、年に数回総本山に出掛ける時期がある。丁度その時だった。留守を任された佐久間は、その日も朝からの勤行を終え、数人の見習い達と共に談笑しながら本堂を出た。皆が台所へ向かう中、ふと妙な気配を感じ佐久間は立ち止まった。

いつからそこにいたのか、佐久間の傍らには伊々田がいた。

「いきなりで、驚かせてごめん。僕ここを出たら、君のこと、 」

佐久間は目の前の伊々田が何を言っているのか理解できないまま、耳を通り過ぎていった言葉の欠片を追った。え?何て言った?今この人。棒立ちの佐久間の手を取り、伊々田は自分の唇を押し当てた。

「うれしい。君もそう思ってくれてるみたいで」

背中を伝う冷たい汗。佐久間はどうしても、伊々田に言われた「言葉」を、思い出すことが出来なかった。

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学校があるのは有り難かった。受験までは間もないが、少しでも今は家に居たくなかった。朝、伊々田に言われたこと。それがどうしても思い出せない。あまりのことに、思い出すことを拒否しているのだろうか。最初はそう思っていた、だが何か様子が違う。

何も「言われて」ないのではないだろうか。

佐久間の驚くタイミングを計算に入れて、さも何か言ったかのように振る舞ったのかも。せっかく言ってくれた言葉を「聞こえてない」なんて言えない、こっちの罪悪感を利用しているのかとも疑った。

俺はいつもこんなだ。大切な友人だったあの尾田信長と、その恋人の森利蘭丸の時のように。彼らに何も出来なかった。救うことが出来なかった。気付いてたはずなのに、彼らの声なき声を、自分は受け取っていたはずなのに。

俺はあれからずっと、向けられる声という声に、聞こえないふりをしている。

夕方。部活以外人の少なくなった校内。施錠時間ギリまで図書室で過ごし、日の落ちたグランドの脇を通り抜ける。佐久間は逆光で目視できないでいた。校門の側に誰かが。伊々田が立っているのを。

「鬼丸くん、遅かったね」

この声、なんで。

「一緒に帰ろっか。車で来たんだ」

そっと肩を掴まれた。抵抗すれば良いんだ。大声を出せばいいんだ。脇目も振らず逃げ出せば。なのに。身体が竦んで、声も出ない。佐久間を後部座席に座らせ、伊々田は寺とは全く逆方向へと車を走らせる。

「朝ね、嬉しかったんだよ。達丸住職が戻られたら、君とのことちゃんと言わなきゃなって思ってて」
「……み…せん」
「ん?」
「すみ…ません俺、全然聞いてなくて」
「何を?」

あんたの言ったことだよ。佐久間は心の中で呟いた。君もそう思ってくれてるみたい、だなんて。何が何だか分からない。そんで今車に乗せられてるのも俺には訳が分からない。

「…ここを出たら君のこと、の続きでしょ?」

声には出してないよ。こうやって君が気に掛けてくれるように、わざとね。伊々田は悪戯っぽく笑いながら、バックミラーに映る怯える佐久間を諭すよう、唇だけを動かす。

「……、……、って言ったんだよ」

伊々田の口が象ったのは。


つれて いきたい


声に出してないのに
確かに そう 聞こえた様な気がした。






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続きます。↓

https://note.com/kikiru/n/n8ba289067e30


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