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smashing! きみはせんせい

考え得る限りのペインコントロール、皮下点滴を行う、抜糸する、採血する、体温を測る、錠剤を飲ませる、爪を適正な長さに切る…どんな補助処置も、被毛のケアなんてそこらあたりのグルーミング専門店に比べたら段違いの出来映えだと言える。ただし、

「佐久間先生、お願いします」

「…っしゃ」

ここから先は「獣医師」の仕事である。

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佐久間イヌネコ病院動物看護士・喜多村千弦。
大学では成績優秀、全て十二分にこなせていたそんな時。実習用だった犬のリイコを引き取るにあたり、学んでいた全てを放棄し喜多村は中退した。獣医師国家試験を受けるための絶対条件は、卒業資格と全ての単位の修得。その時点で喜多村は獣医師になる手立てを全て失った。あとわずかで全て修了。その「あとわずか」から目を背け、かけがえのないものを、二度と手に入らないものを、見捨てることがどうしても出来なかった。そして自分は動物を使った試練に立ち向かうことが不可能な人間。そんな決定的な諦めをも同時に感じた。

きれい事だろうがそんな陰口何だっていうんだ。
自分の今後より、こいつを助ける方が優先順位が上回っただけのこと。いま適切な治療をすればリイコは必ず回復する。それができるのは自分だ。出来ることを精一杯やる。あとのことはそれからだ。

喜多村にとっての心残り。同輩で親友の佐久間鬼丸。
これから失ってしまうのだろう。彼と過ごせていたあの時間。喜多村は佐久間に会ってからずっと、友情の類いではない重たい何かを心の中に抱えていた。そして佐久間のあの、自分と居るときにシャツや上着を掴んでは触感を確かめるような、子供のような癖。そこから自分と同じ気持ちを感じることも確かに、あった筈だと思い返す。
ただどちらからも、どこからも、どう行動を起こすべきなのかも、自分達には分からなかった。
適性が絶望的だと分かった以上、自分は佐久間を置いてここから去らなければならない。佐久間のこれからの行く末、自分が「逃げ出した」課題と戦うであろう彼と、再び夢を語り合うなど出来ない。同じ場所を目指していた同輩としても。「逃げ出した」自分のままでは佐久間の傍らには戻れない。
沢山の命の試練を敷き詰めた道を突き進み、門をくぐり抜けることの出来た人間だけが、その先、生き物の命に直接携わることを赦される。果たせなかった俺は横道を必死で走り、佐久間の後ろに辿り着くことは出来るかもしれない。だけど自分達の道が1本に纏まることは決してない。
それが「医師」なんだ。

自分では到底為し得なかった医師としての試練を、あの佐久間は乗り越えた。乗り越えることが出来る人間だった。佐久間には敵わない。喜多村の絶対的真理がそこにあった。

しかしその心残りは、喜多村を奮い立たせる源になる。
喜多村は中退して暫くした後、動物看護士やいくつかの資格を取った。そして数年後、大学の先輩に当たる人物から佐久間の伝言を聞くこととなる。
手の空いている獣医師、もしくは看護士はいないか と。
速攻で連絡先を聞き、その日のうちに荷物を纏めた。喜多村の心にはもう、迷いも恐れも無かった。

「俺はお前の手助けがしたい。
 ずっとそう思ってたんだ」

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自分には佐久間の領域に手を出せない。注射も診断もしてはいけない。麻酔も、手術も、縫合も。

だけど、口は、出せる。

佐久間が迷うとき、判断が、支えが必要なとき。自分はいくらでも助言ができる。思いつくあらゆる知識を役立てることも出来る。手渡す器具の先読みだって可能だ。投薬の判断も。治療法の是非も。自分は佐久間を「手助け」することが出来る。


だから今日も佐久間を助ける。
自分に背中を預けてくれる、彼のために。


「佐久間先生、お願いします」




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