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smashing! こころをつくすきみ

佐久間鬼丸獣医師と喜多村千弦動物看護士が働く佐久間イヌネコ病院。そこで週1勤務をしている、大学付属動物病院の理学療法士・伊達雅宗と、その恋人の税理士・雲母春己。


4人はとある郊外。自家用車は許可が無いと入れない類いの場所に来ていた。ここに来る唯一の手段は定期バス。それも2時間に1本。
最寄りの駅に着いたとき、佐久間は急な着信に慌てて応対。そうこうしているうちにバスの発車時刻に。既にバスに乗り込んでいた伊達・雲母が二人がいないことに気付いた時は遅かった。慌てて運転士に交渉に向かう雲母。最後尾で佐久間・喜多村に向かって子供のように応援する伊達。タッチの差で間に合わず、2人は走ってバスを追いかけた。直後、佐久間の下駄の鼻緒が切れ顔から転倒。バスがようやく一旦停止、2人は平謝りしながらもそのバスに乗せてもらえたのだった。

「顔からいったにしては軽症でよかったあ…」
「それにしても追いつけてよかった。痛くないですか?」
「ありがとハルさん、恥ずかし…でも全然大丈夫なんよ」

佐久間のほっぺと鼻の頭にバンソーコー。昭和か。足下は鼻緒が切れた下駄ではなくクロックス。こんなこともあろうかと、と言って雲母が重厚なボストンバッグから出してくれたのだった。ハルちゃんのかばんには何でも入ってるんよ。伊達が何故かふんぞり返っている。

「雅宗先輩、補助席でそれやると危ない」
「うん…さっきも転んだ」

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伝説のうどんが食べたい。

ある日喜多村はそれしか考えられなくなった。たまたま目にした雲母のSNSのTL。情報収集用だというそこには、どこそこの山奥のうどんがすげえ旨い、的な記事が上がっていたのだ。
はじめは喜多村一人で行く筈が、興味津々の食いしん坊3人も食いつく。あと2名、ちっちゃいものクラブ結城と小越は「うどんよりラーメンがいいな」と反旗を翻したのだった。

喜多村が朝イチで計画して数時間後、ようやく4人は伝説のうどん屋の地に降り立った。この辺りにあるのは山の斜面と畑と、畑と、畑と、その小さなうどん屋だけ。帰りのバスが来るのは2時間後。辺りには既に鰹だしのいい香りが漂ってくる。
店内は普通よりだいぶ綺麗。そしてメニューは数点のうどんのみ。その中でも「伝説」と噂されていたのは「かけうどん」。透明な鰹だしのきいたスープ、細めのうどん、刻み葱のみ。4人は迷わず「かけうどん」を頼んだ。

「………………」

4人とも無言でうどんを啜り続ける。うまい、とか言ってる場合ではない。飲み込む側から喉元ですっと消えていくような気がするからだ。水自体も違うのだろう。コシは強め、味という味が鮮明で、出汁になる鰹節も小麦粉もとにかく際立っていた。葱も全然香りが違う。うどん大好物の喜多村の目が据わっている。もちろん魔神とかのではない。

あっという間に平らげた4人は心ここにあらず。うどん屋を後にしてバス停に向かう。人って凄まじく美味しいもの食べると幽体離脱状態なるね。簡易小屋のようなバス停のベンチ。すると漸く伊達が口を開く。

「あのさ、一人、足らなくない?」

4人いた筈が3人しかいない。あハルさんが先に行っててくださいって。佐久間が思い出したように言った。いないの気付かないなんて俺彼氏なのに。まあまあそんだけ旨かったんだし。珍しく喜多村が伊達をフォローしている。その時、伊達の携帯が短く鳴った。

「あれ、ハルちゃんからメッセ…?」

ー みなさんそのままバス停に居てください。お店の方が駅まで送って下さるそうです♡ー 

帰りのバスの時間までまだ相当ある。雲母は一体何をしてそうなったのか。あんた聞いてないんか。佐久間と喜多村は伊達を揺すって問い詰めるが、伊達は「ハルちゃんそういうとこあんの…」遠い目をして呟いた。
クラクションの音。やってきたのはうどん屋さんの名前の入った白いミニバンだった。

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駅まで送って貰い、次の電車までは後ほんの数分。ああ、足があるって素晴らしい。しかも電車すぐ来るって有り難い。

「送ってくれたのもびっくりしたけど…通販もしてくれるんだ?」
「はい、基本は断るそうなんですが、僕たちには特別に」
「ハルちゃん…何のお話したん?」
「おうどんが美味しかったので、お得意様にも是非食べて頂きたくて。それで交渉してたんです」

雲母は丁寧な物腰と優しげな雰囲気を持つが、交渉事には見事な押しの一手を披露するタイプ。殆どの相手はいつの間にやら言うなりになってしまう。ただ相手には「損」をさせない、雲母はその誓いを頑なに護り続けているのだ。今回の手打ちうどんの通販の対価は、雲母の馴染みの高級乾物問屋への根回し。
この調子でいろんなお得意様が増えてくんだろうなあ。雲母の「策士」としてのしたたかさも、どこか惚けた愛すべき天然さも、計算して出来ることじゃない。佐久間は心から感心していた。

「千弦くんのお陰でご縁が出来ました。ありがとう」
「え!ハルちゃんが交渉したからよ!」
「ンフフ。僕が見たのはSNS上だけ。実際に足を運ぶって言ってくれたのは、千弦くんなんですよ」

この、的確な押さえと感謝の言葉。誰か言ってたな惚れてまうやろ。こういう時に使うんだな。けれども皆と楽しそうに笑いながら電車を待つ今の雲母は、ごく普通の、ただの綺麗な男子だった。




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