見出し画像

smashing! たいこうぼうなおれ


佐久間イヌネコ病院入り口。丁度午前中の診療を終え、掃き掃除に外に出ていた佐久間獣医師は、医療機器メーカーの営業君に捕まっていた。

こういうことはいつも喜多村千弦動物看護士に任せていたんだった。今日喜多村は実家の用事で夕方の診療時間まで戻れない。断るにもどう伝えるべきか思いあぐねているうちに、いつのまにか両手がリーフレット類で塞がってしまった。

「こちらのタイプですとLEDを兼ね備えて…」

何が苦手って、機器の要不要の判断なんだ。心の中でありったけの召喚魔法を唱える。ヘルプちぃたん。ヘルプハルさん。ヘルプ誰か…

「佐久間せんせー!4号と5号予防注射したいから夕方一番予約したい……てなにやってんの?」

アルテマウェポン召還キタ。近所に住む友人の結城卓。雄猫6匹のオーナーで、元大手不動産会社エリート営業マン。結城は佐久間と一緒に居るスーツ姿の客人に、一瞬険しい表情になったがすぐに笑い出した。対して営業君は結城を見るなりその場で固まる。

「アハハッ…なんかぁ知ったのいる何だっけ、ワルツ?じゃなくてサルサ…」

「サンバですサンバ!山波拓斗ですよ結城先輩!せんぱい!」

人の良さそうな丸顔。短髪で前髪がツンツンした、ハリネズミみたいな印象。サンバと言ったその営業君は、結城の足下に走ってスライディングし意味不明の叫びを上げた。その後成人男子ギャン泣きとかて。子供の地団駄か。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

夕方の診療まで時間があるからと、佐久間はとりあえず病院の待合室に二人を通し、温かいコーヒーを煎れた。

「もーごめんーあん時は悪かったってー」

「支店開設以来最大の危機だったんですからっ!」

2年前、結城は想い人であった故・小越和威の孫、優羽に出会い、それまで会社業績の要にもなっていた、自身の営業職をあっさりと手放したのだった。打ち込んでいたものに価値が見いだせなくなったと言うべきか。理由は至極シンプルで、それまで己を支えていた礎が「仕事」から「小越優羽」にシフトした。それだけのことだった。

「専務なんかあれからチワワとか飼い始めちゃうし、女子社員なんて雰囲気悪くなってみんな辞めちゃうし、お得意様は結城君いないんなら他行く言うし。結局僕も辞めて…」

「えホント?専務って犬苦手だったじゃん」

「チラシ配りの帰りにペットショップ通りかかって、ウィンドゥ越しに【結城君…】言ったと思ったら次の日ワンちゃん抱っこして会社来ましたよあの人」

結城は山波と話をしながらも、時々佐久間の膝にぽんぽんと軽く触れる。目が合えばふわっと微笑む。佐久間の場慣れ下手を知っている彼は、居心地の悪さを感じさせまいとしているのだろう。それを側で見ていた山波が躊躇いつつ聞いてくる。

「せんぱい…えっと、例のコイビトさんが…この先生?」

「この人は俺んちの猫の先生。すっごいイケメンの彼氏いるよ」

それは今言わんでもいいな。佐久間は少し焦りながら、山波が手渡した先ほどのパンフレットを丁寧にまとめながら言った。

「山波さんこれ、担当者が夕方に戻るから、相談した上でこちらから連絡させて頂いてもよろしいですか?」

「恐縮です!あ、そろそろおいとましないと俺…」

「大丈夫大丈夫そうじゃなくて!あの、よかったら卓とお話してやってください。毎日なんだかんだで退屈してるみたいで」

「暇じゃないもん主夫業やってるもんっ」

「勿論頑張ってるの知ってる。でもバーサーカー卓から太公望みたいな生活になって…それはそれでストレスかもって思ってたんだよ」

給湯室のやつ何飲んでもらっても大丈夫。口を尖らせた結城のブツクサを笑って聞き流して、佐久間は二階の住居へと上がる。ポケットの携帯にメールの着信履歴。予定より早く帰れそう。喜多村からのメッセージに佐久間の顔が綻ぶ。階下から二人の笑い声が聞こえる。夕方の診療までまだ数時間あるから、軽く何か食べて仮眠でもとろう。俺も少し太公望見習うかな。喜多村にメールを返しながら佐久間はキッチンに向かった。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

「山波、契約貰えるといいね。ここ担当者がけっこう新しモノ好きのイケメンだから」

「うわーマジですか来てよかったぁ〜!てか結城先輩のいるとこで契約取れなかったこと、一度も無かったですもんね!こんなの久々の感覚!」

結城は山波と手を取り合って喜びながらも、以前の自分がこんな時快く感じていたはずだった「高揚感」を思い出そうとする。でも上手くいかなくて、記憶の中のデータは曖昧で、あったはずの感覚は纏まらずに霧散していく。それよりも猫達をまとめて抱っこした時のえも言われぬ重さや、小越優羽に触れる時の身体中に溢れる幸福感が、全ての感覚を上回っているのだった。

「バーサーカー卓から太公望」か、確かに。
変化を巻き起こして流れに身を任せると、海の底や空の彼方には行けなくても、ある日珊瑚礁輝く美しい浅瀬に辿り着くことだってある。重油の匂いがする大きな貨物船より、木をくりぬいただけのシンプルなカヌーがいい。その上で優羽と一緒に日がな一日釣りしちゃおう。それこそ俺が思う中で一番、格好いい人生なんだ。


ご機嫌で帰っていく山波に手を振って、結城は病院の中へと戻った。そのまま二階に上がり、ソファーで横になっていた佐久間の上に、思い切りダイブした。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?