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smashing! きみとあるくとわの


僕、ホタルって見たことないんです。


いつものようにハルちゃんのペントハウス。その日は昼過ぎから一緒に居られたので、俺らは一緒にご飯作って食べて、そのあとはテレビ見て。夏の風物詩だったか何かの特番の時に、ハルちゃんがぽそっと呟いた。

「え?ホントに?」
「ええ、映像では見るんですが、実際には…」
「…ねハルちゃん!これから俺んちにこない?」

ちょうどいいや!ハルちゃん来たことなかったし。

なぜこれまでハルちゃんが家にきたことがなかったか。ここから少し距離があるのと、税理士のハルちゃんが繁忙期で、思うように時間が作れなかったからだ。税理士さんは大体、11月頃から忙しくなって、5月くらいに落ち着くという。一番忙しかったらしい3月4月、ハルちゃんは少しヨレヨレだった。僕は一人でやってるから、その分身軽なんですよ。とか笑って言ってたけど、見る度痩せてくこの子を、俺は少しだけ心配してもいたんだ。
ずっと前から考えてたことがある。だから思い切って、突然だけど今から俺んちに招待することにした。よかったまだ酒入れてなくてほんと!

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ハルちゃんの車を俺が運転。こないだの「俺が夜勤で風呂入ってなくてハルちゃんが酩酊した目眩く夜」。そん時にも運転したからもうワーゲン慣れた大丈夫。シートの位置違いすぎて驚愕したけど。隣のハルちゃんは嬉しそうにソワソワしてて、それでも助手席でのナビを怠らない。

大体1時間強。この辺何もないから道はすいてるんだ。幾つ目かのがらんとした交差点を過ぎ、ちょっとした小さな山の麓。駅前繁華街からちょっと裏入るとこの辺全部こんなよ。笑いながら俺は車を降り、助手席のドアを恭しく開ける。

「すごい…空気綺麗ですね…」
「そうなの。俺も気に入ってるんだ」

ハルちゃんを初めて招き入れる俺の家。数年前に奇特な友人が譲ってくれた、平屋の一軒家。

「あ、よかったらそのへんのスリッパどぞ」

探検にきた小さな男の子みたいに、ハルちゃんは目を大きく見開いて玄関から上がってきた。玄関8畳くらいあっから。田舎あるあるね。総檜だけど古いから、旨いことテカテカしてて高級感はある。俺一人が住むにはちょっとだけ広いけど、余計なもの何もないから掃除楽なんだよね。

友人、そいつが大きな奴だったから、ここ建てるときそのように設計したらしい。だからハルちゃんみたいに背が高くても大丈夫なんだ。丁度居間に使ってるとこ電気付けて、座布団を出す。法要座布団だから座り心地いいでしょ。僕でも楽々ですね。ハルちゃんが嬉しそうに座ってくれてる。俺が出した冷たい麦茶をひとくち。これ美味しい。些細な事でも喜んでくれるハルちゃんが可愛い。

「家の裏にね、小さい川があって。この時期ホタルが見れるんだよ」
「…それで連れてきてくれたんですね。楽しみですね!」

二人で並んで外へ出た。深い緑の竹林を揺らす鳥の羽ばたき。ゆるやかに暮れゆく空の色は沈んだ鈍色。雨降りそうだね。ハルちゃんが慣れない川縁で足を滑らせないよう、俺はその手を取る。裏庭に面した土手の下、小さな清流の作り出す淵を二人でそっと覗きこむ。
しばらく待って、諦めかけたその時。ハルちゃんが小さく声を上げる。

「っ…あれ、違いますか?」

白、淡いイエローグリーン、そしてオレンジ。オレンジ色はホタルじゃなくて、鈍い月の光に照らされた川底の苔。ほんの数匹。ふわふわと宙を舞い虚空に消える光の帯。いた!いたねちっちゃいけどホタル!見えた?

「一瞬だったけど、綺麗でしたね…」

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ハルちゃんの、年2回あるという「誕生日」。
この間、その意味をやっと聞けた。言いたくなかったらいいんだ。そう言う俺に微笑んで、あなたに言いにくいことなんて何もないですから。そう言ってゆっくりと淡々と、時折口噤んでは言葉を選んで、俺に話してくれた。
家族旅行先での事故。それによって助かったのは自分だけ。その日ハルちゃんは家族全てを失って、目が覚めたときは「一人」になってた。もう一つあるという誕生日は、僕がまたここに戻ってこられた日。ハルちゃんはそう言って微笑む。
いつも人の事を優先して、聞き上手で、笑い上戸で皆に優しくて。仕事も人のために日々奔走してる。それは、きっと、ハルちゃんが。

何より誰より、頑張ったから、今があるんだよ。

俺、ずっと言いたいことがあったんだ。そのことを聞いてからは更に確信した。いつも俺はハルちゃんに会って言おうと思ってて言えなくて、ああしまったと帰ってから後悔して。
至極簡潔、でも何より重くて、厳かなそれを伝えたくて。

微かな雨音。遠雷が響き始め、ハルちゃんと一緒に家の中へ。ハルちゃんを先にお風呂に案内して、その間に飛びきり美味しい肴、河豚の皮を柚子で和えたやつ。藁焼き鰹のタタキ。身もたっぷり入れた蟹味噌なんか作って、取っておきの大吟醸も封切っちゃう。
そして、ずっと前から考えてたことを、改めて心の中で準備する。

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「…すごいですねご馳走!わ、それ斗瓶取り雫酒じゃないですか…」
「ハルちゃんを労いたいんだ」
「僕を?」
「俺の自慢のハルちゃん。君が今までの人生ずっと頑張ってきてくれたから、俺はこうしてハルちゃんに会えたんだ」
「伊達さ…」

ハルちゃんが座ったその隣にくっついて座って、こっちを向いてもらう。膝をつき合わせた形で向かい合って、俺はハルちゃんの手を両手で包み込む。大きく深呼吸して、でも小声で。

「俺、ハルちゃんの家族になりたい」

俺はね、これからの人生全部、ハルちゃんの家族でいたいんだ。たったひとりの家族に。駄目かな?

「あなたは…」
「…ん?」
「あなたは僕のことを、 “可哀相” と言わないんですね」

ハルちゃんの手が少し震えて、そのまま俺をそっと抱き締めた。あれ?俺これ地雷踏んだ?焦って身をよじる俺に、ハルちゃんが耳元で囁く。ごめんなさい、このままで。僕ね…

“可哀相” と言われなくなる場所を、ずっと探してたんです。

静かな、でもとてもはっきりした声が聞こえた。ハルちゃんの唇が項から頬を辿って、俺のに重なる。
雨音の向こう、遠かった雷の音がいきなり大きく轟き、家中の電気が消えた。俺たちはそれでも抱き合ったまま暫く身じろぎもしなかった。ハルちゃんと触れ合った頬が濡れてる。あまりにも静かで分からなかったけど、彼は泣いていた。こんなふうに声も出さずに泣いてたんだろうか。“可哀相” 。思いやりに溢れているはずのその言葉の裏にある、残酷な棘の痛みをずっと抱えたまま。彼はこの世に生還したという最強の幸運を身につけた。いわば幸運な少年。そのはずなのに、彼を気遣い護ってくれた人達が掛けてくれた“可哀相” の言葉は、彼の存在と幸運そのものを否定することにも、なり得てしまったのだろう。

「…ハルちゃん。手、出して?」

暗がりの中、懐にしまってあった小さな箱。ハルちゃんの前でそれを開ける。薄明かりを鈍く反射する指輪。

「伊達さん…」
「箱パカとか、ベタだけど。ちゃんとしたくって」
「…これ…」

遠ざかっていく雨と雷を追う雲の隙間、覗く月明かり。照らされた指輪のその表面、平打ちに埋め込まれたペリドット。白金に飾られた小さな薄緑の石はそれでも、月光に煌めく蛍の光のように、天鵞絨の上で光っていた。

「さっきの、ホタル、みたい」

指輪をそっとハルちゃんの指に嵌める。…あれ?なんでガバガバ?あれ?俺たしかこないだ…

「…ックク…フ…」
「えー…サイズ間違っちゃった俺?」
「フフ…ック…ごめんなさい…僕ちょっと痩せてしまったから」

そうだったハルちゃん痩せちゃってたんだった。じゃあこれピッタリになるほど、まずはご飯食べようそうしよう。そんでこれまたいきなり家中の電気復活。これ誰か見てんの?オバケなの?二人して大笑いしながら、テーブルの上のご馳走に手を伸ばす。
美味しいお酒飲んで、美味しいご飯食べて。あなたといると退屈しないですね。ハルちゃんは少し赤くなった目を擦りながら、薬指を飾るゆるゆるリング、その白金に溶け込むペリドットを、何度も何度も指先で撫でた。



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