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smashing! きみへこころはせ

喜多村千弦。現佐久間イヌネコ病院動物看護士。

彼は同じ病院の院長、佐久間鬼丸と付き合っている。
付き合うというより、再会してすぐ同居した。荷物なんかは後日持ち込んだが、会ってその日から何の違和感もなく喜多村は佐久間の家に溶け込んでいた。

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再会し同居した次の日。

「千弦、何食べたい?」
「あ!俺ね!鬼丸のなら何でもいい」
「何だよそれ」
「もう、お前がいるだけでお腹いっぱい。あでも腹は減った」

鬼丸は笑いながら、それでも少し照れくさそうにキッチンへ向かった。その後ろ姿を眺めながら、心の底から湧き上がる幸せを噛みしめていていた。
俺は犬のリイコを助け引き取るために大学を中退した。でも辞めたのはリイコのせいなんかじゃない。自分があれ以上実習に耐えられないと判断したからだ。実家に戻り経緯を話した。リイコと一緒に居候した俺を、千月パパも当時の家政夫の本松潤さん(マツジュン、とお呼び下さい。が口癖)も、責めることなく大歓迎してくれた。
それから数年。獣医にはなれなかったが取れそうな資格全部取った。もちろん動物看護士は最初だ。
あの数年間はとにかく勉強だけだった。何か自分にとっての「イージスの盾」がないと鬼丸に会うべきじゃない、鬼丸を助けられない。そう思っていた。
拗らせた。拗らせてたんだ。

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リビングにまでふわりと漂ってくる良い匂い。

覚えがある。大学にいたとき。鬼丸が簡易キッチンでみんなにご飯作ってくれたことがあった。文化祭だったかなゼミか何かの集まり。
「鰻丼」に見える精進蒲焼きもどき。海苔にすった山芋くっつけてタレつけて焼くやつかな。正直鰻丼よりも全然旨くて、そこに居た全員ががっついて食べた。確かに腹も減ってたけど、鬼丸の作ったタレの味が絶妙だったんだ。俺の家お寺だから。鬼丸はぼそっと呟いて、無意識にシャツを掴んだ。
鬼丸は考えがうまく表現できないとき、いつも白衣やシャツの裾を緩く掴む。いまも残る、子供みたいなあの癖。
そういえば雅宗先輩も一緒だった。あの人と俺は付き合ってはなかったけど、仲は良かったからよくつるんでて、それを鬼丸は変に察した感じになっていたんだろう。
大学辞めるとき、最後に鬼丸の話聞かせてくれたのも雅宗先輩。
俺と千弦はなんでもないよ?そう言ったら焦って俺そんなつもりないです、なんてさ、すっげ否定してたけどあいつはお前のことすっげ好きだと思うねあれ確定。
いつもあんなだけど雅宗先輩の勘て、100%的中するんだ。


これからは俺が側に居てやれる。やっと鬼丸を助けることが出来る。一人で頑張らせないで済む。俺が雑用も何もかも全部やってやるんだ。そんで飯だって作るし風呂だって洗う。リイコ連れてきたら散歩もしてそして…
ちゃんと会ってやれなかった分心底、可愛がってやれるんだ。

不思議なことにいつだったか、どこらへんが気に入ったとか、二人とも覚えていない。ただいつも考えていた。「好き」をどう表現すればいいのか、どうやったら伝わるのか。真剣に相手のことを考えすぎた俺たちは、どうしても方法が思いつかなかった。
至極簡単なこと。触れて抱き締めてそしてゆっくりと宥めるように、鬼丸が許してくれるなら中に沈んでいけばいいんだ。もう離してやる気はない、そんな覚悟を心の中で唱えながら鬼丸、お前を丸ごと食らうそんな卑しい俺を、魂ごと全て受け入れてもらうために。

やっと手に入れた最愛。初めて会ってから既に9年が経ってた。

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鬼丸が何やらトレーにのっけて運んでくる。口に合うかな。とかシコいこと言ってやがる。なんでも食うよお前んなら、ってトレーの上見たら、あの「鰻丼」があった。
ずっと前これ美味しいって言ってたから。そう鬼丸が言う。

声も出なかった。

これがお前がずっと持ってた答えだっていうんなら、俺の気持ちも心の中も、ひょっとして最初から全部バレてたんじゃないか、だけど。それを素直に表現できないお前だから。
だからこそ。

俺は鬼丸のこと、好きになったのかもしれない。

鬼丸が割り箸を渡してくれながら、千弦のお箸とかも買いに行こうか。ないと困るしな。そんなこと言うもんだから。粉山椒が目に滲みたみたいで、鬼丸の顔も声も海の中にいるみたいに歪んで、はっきりと見えなくなって。

俺はただ狼狽えるしかなかった。




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