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人のキャリアに関わる仕事に就いた理由②

前回はこんなことを書きました

前回は「人の持っている力を発掘したい」という気持ちが芽生えるきっかけとなった大学時代の出来事について書きました。

キャリアに関わる仕事に就く素地は、もっと前からあったように思います。

早い段階で刷り込まれていた

子供のころ、毎週日曜日キリスト教の教会に通っていました。

その教会は、とある学校の系列の教会だったため、担当の牧師も宣教師もその学校の教師(教授)でした。

平日は、学校で教鞭を取り、日曜日は聖職者として活動する、今で言うパラレルキャリアです。専任で行っている人が多い中で、特殊な環境でした。

また、牧師や宣教師が教師(教授)だったこともあり、大学生や留学生もちょくちょく来ていて、当時小学生だった私は、普段接することのない大きなお兄さん・お姉さんたちとの交流を楽しんでいました。

そのお兄さん、お姉さんたちの進路は、卒業と同時に就職する人もいれば、文系学部だったのに医者を目指して大学に入り直す人、芸術活動のために海外に渡航する人、学生結婚して夫婦で渡米し研究の道に進む人など、本当にバラエティ豊かでした。

就職するという概念ができるずっと以前に、私には複数の選択肢が刷り込まれていたのです。

振り返ってみると

家族の影響もあったように思います。

父は同年代の人と比べると、転職回数が多く、出世らしい出世はしませんでした。その分、時間に余裕があり私たち子供に関わる時間が多かったように思います。

母は私が中学生のころに突如大学へ行き、そこで専門ライセンスを取り、専業主婦から専門職へ再就職しました。

姉は大学を3年の終わりに中退し、理系だったのになぜかハイブランドの販売員としてバリバリ働いていました。

こうして振り返ってみると、大学を卒業したら必ず正社員で就職するとか、1社で長く勤めるとか、上に行くとか、そんな概念が全く育たなかったのも無理はありません。

意図せずでしたが、結果的に大学を卒業したら正社員で働く・・みたいなルートからは外れ、まだまだ新卒神話が優勢だった時代に、何者でもない状態で社会へ投げ込まれたのです。

潜在的に想いがあった

その時は、子供時代に”ルート外もアリだ”という素地ができていたことに気づいていませんでした。

でも、一般的な就職のルートに違和感を持つ自分やそのルートに乗り切れない自分がいることには気づいていました。

もっと、キャリアは自由でたくさん選択肢があっていいはずだ。

もっと、自分軸で考えて可能性を追求する時間があっていいはずだ。

どこかで、そう思っていました。

それを自分なりに探求したかったし、同じように考える人を応援したかった。

なので、若干遠回りをしましたが、人の人生(キャリア)に関わることができる仕事に就いたのです。

③へ続く。

<Thanks to Majharul Islam for sharing their work on Unsplash.>

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