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あふれる子育て情報に触れながら「違和感」を探す

今、もうすぐ3歳になる子どもを育てている。
もうすぐ2人目も生まれる。
無事に生まれることができたなら、2021年早春生まれと2024年早春生まれの2人を育てる人生が改めてスタートする。


1987年に地方で生まれて育ってきた私、そして夫が、今の東京で生まれた子どもの子育てをしている。

言うまでもないが、育つ環境が違いすぎる。
これから子どもが育ちながら私たちが選ぶ道は、どの方向をとってみても簡単に想像がつかない。


情報過多のこの時代、中でも情報にあふれすぎている教育の話題に接する中で、いつも自分に恐る恐る問いかける。
私も数年後には「みんなやってるからこの道に進まなければ」の荒波に、気づいたら巻き込まれてしまうのだろうか…?

周りの環境や選択が、自分たち家族や子ども自身の思いよりも大きな波になり、自分たちの判断軸を失って、気づけばのみ込まれている。
そんな数年後が、十分にあり得るのではないか。

学校選びもそうだし、習い事もそう。
もちろん何かを「する方がいい」「しない方が正解」という答えが私の中にすでにあって悩んでいるわけではない。
何を選択するのか、子どものために何を大切にするのか、その軸自体がまだ定まっていないから、余計にぐらついているのだ。


まだ子どもが幼くて、自分たちの子育ての軸も定まっていない今、何からどう考えて良いのかはわからないけれど、心に留めておきたいことがある。

それが、何か情報に接したときに心に引っ掛かる「違和感」をスルーしないこと。
スルーしないどころか、どこに違和感を持つのか、積極的に探したい、と考えている。


例えば今日、この動画をみた。

何気なく見始めてから気づいたけれど、今の私は「なるほど、塾に通う最適な時期はこの頃なのか」という正解をこの動画に求めているわけではない。

次々に出てくるキーワードに対して、自分がどこに「違和感」を持つか、診断している気分で見ていることに気がついた。

例えば、
「何歳頃に〜した方がいい」
「とにかく入試の変化がはやい」
「子どもに〜に行かせたい、やらせたい」
「子どもに行かせたい道」
「意識的な早めの情報収集が必須」

そんな話が出てくると、心にざわつきが走るというか、何かつっこみたくなるような違和感が出てくる。


実際に動画の中で展開した話の忠実な再現ではないけれど、例えば
「子どもに◯◯(習い事)をやらせたいのだけど、その場合はいつまでに準備すれば良いのか」のように自然に話が進んだとき。
「今はとにかくどんな習い事も順番待ち。6~7歳頃には下調べを始めた方がいい」と、今の時代に合わせた対策が提示される。

確かにこの時代に良い習い事をさせるためには必要な策なのだろうし、「何歳に何を準備すべき」と明示されるとわかりやすくてありがたい。

ただ、そこでは深く語られていないけど、そのスケジュール以前に大切なのは、子どもの思いや意思だよなあと。
(もちろんあえて説明していないだけで「(まず子どもの意思があって)習い事を探すとき」という設定の話なのかもしれないが、全体的に親主体で進めていく方法のように感じた)

いざ6〜7歳になった時には親も「今準備しておかないと手遅れになる」と焦ってしまって、肝心の子どもの気持ちは簡単に置き去りにされてしまうのかもな、とも。

私はまだ子どもが幼いから客観的に考えたり、違和感を持ったりできるけれど、その年頃の当事者になったら「少しでもこの子の可能性を広げるために」と親が先々に準備をして何かをさせたり、良かれと思って道を選んでしまうかもしれない。


必ずしも自分が違和感を持った内容=「間違い」と感じているわけではない。
動画内で話されていた「意識的な早めの情報収集が必須」というのも間違いないと思う。
違和感を持つ、というのは「この考え方は鵜呑みにして良いのか?」と一瞬立ち止まる感じに近い。

                ◆ ◆ ◆


動画内で参考になる視点もあった。

海外の大学に子どもを入れたい親が増えているという話の流れで「(大学の選び方も)東大を筆頭にした国内のピラミッドじゃなくなっていて、横に価値観が広がっている」という話。
「海外の大学」に行くこと自体というよりも、純粋に生き方の選択肢の幅が広がっていることに安心できた。

「◯◯大学や◯◯大学に行くことが成功」で、それが叶った人が尊敬されるべき人、という世の中は、私にはとても不健康に感じる。


点を線で繋げられる人と、繋げられない人

「わかる」とは点を増やして繋げること、という話も新鮮だった。

好きな寿司のネタとして「マグロ」というキーワードが出てきたとする。

「マグロ」から、
インド
スペイン、ポルトガル
フランシスコ・ザビエル
1543年
織田信長

とキーワードを繋いでいける人もいれば、

「マグロ」
寿司
おいしい
チョコ
…。

と、発想が止まってしまう人もいる。

動画内では繋いでいける子どもと、発想が止まってしまう子どもがいるから、その子に応じて勉強の仕方を変える必要があるという話だったけれど、点と点をどう繋げられるかは大人でも意識しておきたい視点だった。

                ◆ ◆ ◆


子どもが成長するにつれて、選択肢を前に焦ったり、迷ったりする場面に次から次へ遭遇するはず。

それはきっとみんなそうだし、だから情報はできる限り集めたいと願うものだと思う。

だけど、検索して得られる情報の中に、我が家にいる「この子の正解」はどこにもないのだとも思う。

私が探すべきなのは、この子は何を思っていて、何を望んでいて、何をする時に楽しくて、何を知りたいと感じているのか、なのかもしれない。

そして、押し寄せてくる情報の中から「正解」ではなく「違和感」を探していきたい。
見つけた違和感に一つずつ向き合って、自分は、子どもはどう思うのかをその都度掘り下げて、大切にしたい軸を少しずつはっきりとさせていきたい。




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