個性のない蟻たち

 分業の時代、専門家の時代で自分が出来ないことはできる人にやってもらって得意分野を伸ばすような時代になってきてはいると思う。それでもある程度の共通の認識・共通の知識は必要で集団内で必要な共通の認識・共通の知識を持ちつつ専門分野に打ち込まねばならない。
 そんな難しい世の中であるからこそ、溢れる人が出てくる。専門分野に特化しすぎて共通の認識を持たない人や逆に共通の認識や知識を得るのに必死で専門分野のない人ような人が多くいて、社会不適合者なんて呼ばれ方をされる。
 特に今の世の中は専門分野がない人が多かろうと思う。しらべぇというサイトで取られた「やりたいことについての調査」というアンケートによると「やりたいことがわからない」と答えた二十代の割合が男性で46.2%、女性で55.8%と多い。これはあくまで仕事についての調査であるため趣味を極めているけれどやりたい仕事がないだけかもしれないが、仕事になるくらいの専門分野がない可能性は高いのではないだろうか?
 最近は教養系のコンテンツも増えてきていてYouTube、TikTokなどの教養系はかなり伸びがいい。続ければ視聴者を獲得していけるビッグコンテンツとなっているが、それを見ているからといって賢くなれるわけではない。
 恋愛心理学や歴史についての動画を見て勉強した気になる人が最近は多く、そういったコンテンツをよく見ているから詳しいとのたまう輩がいるが笑止千万、動画になるのはあくまで一部で困ったことに使い方だけを説明して本来の性質を説明していないのがかなりよろしくない。
 例えば心理学の単純接触効果はよく「何度も出会う人に好感を持つ」と説明されるが本来は人と出会うといったことに限らず「よく受ける刺激に好感を持つ」という性質のことだ。
 表層を掬って本質を知らぬまま知っている気分になれるのは如何なものかなと私は思うのだ。コンテンツとして楽しむ分にはいいかもしれないが人に知識として披露するには知らなすぎる。
 さて、話は変わるがテレビで放映された雑学はあくる日にはクラス中が知っているという現象が起こっていたことがよくあるが、それと同じようなことがTikTokやYouTubeで起き始めている。知らなくてもいいことをみんな知っている必要性は皆無だと私は思うからみんなの知らない深さまで行かねばならないと思う。社会の一部として優遇される為にはみんなの知らないことを知る必要がある。蟻などは集合知といっていち個体のもつ知識は限りあれど集団で持つ知識量が多く一匹一匹が役割を果たしている。なれば、人間はもっとそれを発展させた専門性の高い集合知を持つことが出来るだろうと思うから動画を見るだけではなくそこから調べ、研究するのが賢さになるだろう。Google先生に聞けば大体はわかる時代なのだからもっとGoogle先生に聞く力、Google力を持つべきだ。


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