嘘つきが教える嘘つきはこういう奴/批評家編
批評家というのはふんぞり返って言いたいことを言って自分の価値観を押し付ける野蛮な生物である。それでも世間で求められているから存在し続けているのだ。批評家は世間一般の大多数の声を代表して物事の善し悪しについて述べるだけでよく、ちょっと話の上手いおじさんおばさんが批評家の看板を背に喋っているだけだと考えてもらっていい。
もちろん、専門分野と絡めてトークが展開されると面白いは面白いが、私が思うに世間一般の人達に分かるように説明できる範囲というのは限りがあり、世間一般の人たちが複雑怪奇極まった解説に発狂するようなのが専門家と呼ばれるくらいの人達の専門分野なのである。故に結局は世間一般の人たちでも知っている知識の中で話すことになり話の専門性は低くなるだろう。また、最近は批評家にもキャラクターが求められる時代でどこかのお偉いさんなら誰でもいいというふうになっていた時代は終わりつつある。
さてそんな批評家は人気商売になりつつあり、極端な発言をするような人がもてはやされ引っ張りだこになるそんな時代だ。極端な思想を持っていない一部の批評家はキャラ作りをして、本心じゃキャラに合わない時はキャラに合わせた発言をするようにまでなってきているらしい。
そんなプライドもへったくれもなさそうな人種にもちゃんとしたプライドがあり、特に専門分野へのプライドは以上に高い。他の分野に無知でヘコヘコと謝っていたとしても自分の分野で間違えてヘコヘコと謝るのはプライドが許さない。専門家として地位が低い間は学習しなければ、更新しなければという焦りがあって自分の専門分野に関しての無知を恥じずにさらけだす人も少なくはないが地位が高くなればなるほど馬鹿にされることへの耐性が低くなっていく。地位が低い間は普段から馬鹿にされ慣れているから「いつかきっと…」という考えに持っていくことが出来るがだんだん馬鹿にされることがなくなって耐性が低くなるのだ。
無知でないという弁明や相手の実力を素直に認められないのが批評家もとい専門家なのである。
加えて批評家は番組やイベントへのある程度の配慮がある。生放送番組では出演者間で空気感を共有している。番組内では相手の返して欲しい所にジャストミートさせないと番組の空気が微妙になってしまう、そのためどう反応して欲しいと思っているかを瞬時に理解して本音を言わず場に合わせた発言をすることが求められるのである。
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