𝕏(Twitter)を発信に使い始めての変化・感想

 X(旧Twitter)を使い始めてはや3日、私はこれまでXを見る用に使ってきたし、実際今も見る用に使っている。これまでどう使えばいいか発信の仕方が分からなんで手を出してこなかったが「分からなん分からなん」と言って過度に恐怖し怯え、自己の内側をさらけ出すのを怖がっていただけなのかもしれないと思った。
 陰キャだからSNS弱者だからとほざく者は試してみて欲しい、なんか考え事をしている時にそのまんまをポンっと世界にスローイングするのだ。誰かしらにポコンと当たって当たった奴はそのまま動かなくなるかもしれないがそれでいい、マイナスな部分は出さなくたってSNSはやってけるしそもそもマイナスな部分はいいかえればさほど印象は悪くならない。病んだは凹んだと言いかえられるし、無気力はやる気ゼロくらいに置き換えると良さそうだ。
 ここ数日、変わりたい一心でSNSでの発信を始めた。気づけば己の中に承認欲求モンスターが誕生し、いいねや引用、視聴数(インプレッション)が気になって気になって仕方ないような気がしなくもない。なるほど、あそこ(X)は承認欲求モンスターが跳梁跋扈する化け物の巣窟なんだなと身を以て感じた。
 noteとの明らかな違いはここは活動者もいるが基本的には吐き溜め場で思ったことや人に言えないあれやそれを吐き出す場所だと個人的には思っている。しかし、Xは自分って価値あるだろ?センスあるだろ?という世界なのではないかと発信三日目のSNS弱者は思うわけだ。自分のセンスをさらけだしてみんなに注目してもらう世界なのだ。本当に承認欲求を満たしたいがために使っている人が多い印象だ。
 それとコミュニティーの形成のされ方が全くもって異なると思う。私は正直に言えばnoteで他の書き手と接触する機会をほとんど経験していない。note内で集まりはかろうじて存在するとは聞くし、活性化するために運営さんが動いておいでなのは知っているのだが、あまり集団にならない群れない媚びない狼のような書き手が多い印象である。
 コメントとスキによる短期接触がnoteであると私は考えている。つまり長期接触にするには他のSNSとの併用は不可避なのだろうと思うのだ。
 一方X、こちらは好きな物を持った同士を見つけて自分の持っているものを‘’自慢し合う‘’という構図で輪が広がる。Xは承認欲求のSNSでかつ、同じ趣味仲間が見つけやすいため趣味仲間で群れて媚び合う関係ができやすいのだ。また、エコーチャンバー現象というコミュニティー内で思想が一点に偏っていくという現象が起きる、そしてこのコミュニティー内の思想の偏りに乗っかることで自分が集団の一員であることを意識しやすくなり集団にいるという安心感を得やすい。

 重要なのは流れがあり、乗っかれば仲間と認識され、相手とは違う価値観もコミュニティーの中で許容されるようになるということだ。
 親しい人の言うことなら信用するし、多少変な趣味だと初見で思っても興味は持ちやすかろうと思う。布教チャンスなのである。嘘をみんなに知ってもらうのにちょうど良さすぎる空間だ。

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