おばあちゃんの縁側で待ってるよ。

「まあまあ、お茶でも飲みや〜」

ぽかぽか陽のあたる縁側。お茶とお菓子を載せたおぼん。
近所の人とおしゃべりに興じる祖母。

ゆったり流れるひと時の映像。

目的があるわけでもない。ただ話したいことを話す。
約束をしていたわけでもない。ふらっと寄って、ちょこっと話して「ほんじゃあ、また」と帰っていく。

そんな何気ない日常が当たり前にあった。

祖母はふんふんと相槌を打ち、時折「ほりゃ〜大変だったの〜」「まあ大丈夫だら~」「そりゃ、ええねぇ」と言葉を添える。嬉しいことも悲しいことも受け止める。時には自分の話もする。笑い声が晴れた空に響く。

小さい頃の私は横で遊びながら聞くともなしに聞いていた。大人の話はよく分からなかったが、祖母の声になんだか安心をもらっていた。

祖母のあの縁側は、ゆったりとした時の流れの中で優しさと温かさに包まれていた。

頑張ったらドツボに嵌った

子育てをしていると、想像以上にたくさんの壁に当たる。自分でも嫌になるくらい怒りのスイッチを押される。

以前も書いたが、

食事中にうろつく。作っても食べない。帽子をかぶらない。おもちゃを片付けない。タンスの上にのぼる。引き出しの中身をぶちまける。他の子を押す。たたく。。。

数えきれないほどの「ダメ」を放った。イライラしない日がなかった。鬼のように怒る自分が嫌だった。子どもの寝顔に何度こめんねと言ったことか。

子どもと楽しく遊んでいる大人を見るたびに、できない自分に引け目を感じた。子どもの笑顔が、私ではない「誰か」に向けられていることに嫉妬した。

みんなで楽しく話していても、子どもと二人きりになると途端にシーンとなる。何か話さなきゃと焦り、天気の話をするも盛り上がらない。アタリマエダ笑

それでも「母親だから」と頑張っていた。頑張って頑張って自分で何とかしようとしていた。できない私が悪いのだと思っていた。

そんな時、当時幼かった長男に「おかあさん、きらい」とそっぽを向かれた。声をかけても話してもらえなくなった。英語環境で日本語がうまく使えなくて、「言いたい想い」とそれを「言葉にできる力」の差にフラストレーションも感じていたと思う。

でも、やっぱり、あの頃の私は厳しすぎた。

離れていく子どもとの距離感に涙した。父親にばかり頼る長男の姿に苦しくなった。私と夫に向ける顔が違うことに落ち込んだ。産後鬱も重なって、ただただ泣いた。

私のやり方は何かが間違っていると、心の奥でうすうす感じていた。でも、どうしていいのか分からなかった。

そんな時に出会った言葉がある。

完璧じゃなくていい

『Being with.(寄り添う、一緒にいる)』
『Good enough(十分、まあまあ良い)』

子どもの気持ちに寄り添って、完璧な母親という呪縛を手放す。ただそれだけ。それだけの言葉だった。

でも、悩みのドツボに嵌っていた私にとって、それは「救いのロープ」だった。

イライラさせる「問題」行動の裏に、子どもの本当の気持ちがあることを知った。それからは、たくさん考えた。怒ってしまうのはすぐには変わらなかったけど、冷静になってから考えた。子どもの気持ちを、母である私の気持ちを。

まだお腹が空いてないのかも?舌が敏感なのかも?頭が窮屈なのかも?まだ遊んでいたのかも?目線が高くなって嬉しいのかも?・・・

せっかく作ったのに食べてくれなくて悲しい?散らかった家=主婦失格?病気になったら、怪我したらどうしよう?他の子に怪我させたらどうしよう?他の人に何か言われたら・・・

子どもの気持ちを想像したら、少し怒りが和らいだ。

本当にそんなこと考えてるかは分からない。子どもに聞いてみて、そうだと言われたとしても、実は彼ら自身ですら無自覚ってこともある。それでも考えることは止めたくない。

自分の気持ちも深堀してみたら、ちょっと気持ちが楽になった。怒ってしまった自分を必要以上に責めなくなった。責めに気がついたら辞めるように努力した。

それで、イライラが減るなら。自分や子どもともっと仲良くなれるなら。家庭が、心と身体を休めるために帰って来れる場所になるなら。

「『お茶でもどうぞ』の場所になりたいです」

先日、星よみの師匠に「どんな気持ちでクライアントさんと関わりたい?」と聞かれた。そんなこと考えたこともなかったから言葉に詰まった。

頭に浮かんだのは「安心安全」というキーワード。

私が日ごろ大切にしている言葉だ。子育てを通じて「自分自身でいられることは自信になる。挑戦する力になる」と実感した。それは、大人にも言える。

リラックスして、評価や他人の視線を気にせずに自分が出せる。自分を理解して肯定して、自分にぴったりなやり方を見つける。これじゃなきゃ!でなくていい。

苦しかったり、傷ついたりした時は、ちょっと立ち止まって休憩できる。気の置けない仲間と話して、お茶とお菓子でエネルギーを貯めたら、また外に出ていける。羽根を休めて飛ぶ力を蓄える場所。

家庭だけじゃなくて、自分の周りの大人にもそんな居場所があったらいいなと思っていた。

もしあの時、そんな場所があったら。悩んでいた頃の私も少しは救われていただろう。今も余裕がないと、あの頃の自分が出てくる。私がいちばん必要としているから、「あったらいいな」と思うのだ。だったら、自分で作ればいい。

まずは自分が『おばあちゃんの縁側』になりたい。

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