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英語ができない僕

※12/27追記しました。

今日は一日オフdayだったので、いつもの日記の代わりに"英語"について振り返って行きたいと思います。

今でこそこうやって海外に旅行に行ったり、英語を使って仕事をしたりと英語に対して苦手意識は全くなくなりましたが、昔は"大"がつくほど、英語が苦手でした。

このタイミングでここまでの英語人生を振り返って、これから英語が苦手な人達や挫折しかけている人達の悩みを解決するヒントが提供できればと思います。

メアリーとレベッカとの出会い

自分が最初に英語に出会ったのは、小学生3年生くらいの頃。
ALTのメアリーという金髪の外人の授業を受けたのがきっかけ。

この時の英語への印象は、意外にも"楽しい"だった。

小学校の授業でそれも外国人の先生が教えてくれるので、他の授業のようなピリッとした雰囲気はなく、ゲームが中心だったからだ。

その中でも、タイフーンというゲームが特に印象的だった。

このゲームはチームに別れて、特典を競うもので、5×5くらいのマスに置かれたカードを指定して、そこに書かれている数字が自分のチームの得点になるというものだ。

たまにカードの裏に"T"と書かれており、これを引いたときは「Typhoon!!」と言って、他のチームの得点を0にすることができる。

その"Typhoonコール"がたまらなくすきというだけで、英語が楽しいと感じていた。
ただのドSだっただけかもしれない。

その後メアリーは任期を終え、一年で去っていった。

去り際に1ドル札に自分の顔を印刷したお金をみんなに渡して。

この時の自分の中では「英語=タイフーン+ドル札→楽しい」の図式が完全に出来上がっていた。

そしてメアリーの後任となるレベッカがその後やってきたが、レベッカの授業もタイフーン中心の授業で、最高だった記憶しかない。

レベッカに関しては別れの瞬間を覚えていないが、タイフーンゲームと緑と白のボーダーの服が印象的だった。

英語嫌いを発症した中学時代

英語に楽しいイメージを持ったまま終了した小学校時代であったが、中学に上がりそのイメージは一転する。

今までと違い、文法という概念が出てきたからだ。

それまで「Typhoon!!」と叫んでいればよかったものとは打って変わって、" 不定詞"、"動名詞"、"受動態"など意味のわからない呪文を突きつけられ、英語がどんどん自分の遠いところに行ってしまう感覚だった。

結果として、テストの点数も平均点を上回ることはなかったし、「どうせ将来そんなに使わない」と投げやりになり英語自体に蓋をし、立派な英語嫌いとなってしまった。

ネイティブ発音をチャカす高校時代

高校に入っても英語嫌いはもちろん治らず、英語に対しての苦手意識は強まる一方。

この頃になると、文法はもちろん英語を話すことに対しても、苦手意識というか恥ずかしさが芽生えてきた。

英語の授業でも音読やシャドーイングなどの時間があるが、CD音源や先生の発音をチャカす風潮があったからだ。
おかげで授業中に当てられても、日本人発音での音読しかせず、どんどん本当の英語から離れていく。

これで立派な英語が出来ない人間の完成である。

英語嫌いが少し解消された受験期

英語嫌いがしばらく続いたが、少し変わるきっかけができた。
それが受験である。

きっかけはただ単に先生にバカにされたのが悔しかったから、というものだが、超短期的に死ぬほど勉強した。

最初はわからなすぎて、勉強中にイライラする程だったが、徐々に単語なども覚え英語が理解できるようになり、「少し楽しいかも」と思うようになった。

同時にこの時、物事は「好きだからデキル」ではなく、「デキルから好きになる」もんなんだと、なんとなく思うようになった。

とにもかくにも、受験英語なので文法や単語がメインだが、この時必死に覚えたおかげで、ある程度の土台が出来上がったように思う。

留学生との出会い

自分が進学した大学は留学生が多く、授業のグループワークで海外の人が居る等、海外の人と触れ合う機会が多くあった。

(ちなみに最初に借りたアパートの横にはジャマイカ人が住んでいた)

そのおかげもあってか、受験での努力も相まって積極的にコミュニケーションを取るようになり、マインド的にもオープンになってきた。

(留学生の日本語を覚えるスピードが早すぎて、最初以外はほとんど日本語で会話をしていたが)

今思えば、そこでのいろいろな国の人たちとの出会いが、異文化を受け入れられる素地になっているようにも思う。

社会人一年目の挫折

大学である程度英語に対しての苦手意識を取り払うことが出来たが、社会人一年目のアメリカへの海外出張で挫折を味わう。

学生時代は、「どうせグローバル社会だから、社会人になればいくらでも海外なんて行けるだろう」と、パスポートすらとっていなかったので、自分にとっての海外はその出張が初めてとなった。

そして現地オフィスに到着し、一緒に仕事をする人たちに挨拶。

これが死ぬほど緊張した。

同行している日本人の先輩がいる前で挨拶。
それも仕事という形で。

大学と違い、ヘラヘラしてるだけでいい雰囲気とは違い、全くミスが許されないかのような場に感じた。

その瞬間、自分の中の隠れていた英語嫌いが顔を出す。

更にその後、休憩時間にフリーでコミュニケーションを取る時間ができたが、自分にとって初めてのネイティブスピーカー。

まじで一言も何を行っているのかがわからないし、何を言っても伝わらない。

それもそのはず。
いままでの留学生たちは、日本人慣れしていて、日本人の英語を理解出来るし、日本人に合わせて話をしてくれていた。

しかし目の前にいるのは、日本とは円も縁もないアメリカ人。

かろうじて聞き取れたのが「I don't know what you say(てめぇが何言っているかわかんねーよ)」というフレーズで、更に自分の心に精神的なダメージを与える。

そんなこんなで、またもや英語嫌いを再発。

結局その出張ではほとんど現地スタッフとコミュニケーションを取れなかった。
(というか、コミュニケーションを避けていた。)

意識改革

そこから見事に英語嫌いが再発してしまったわけだが、仕事で必要な以上、やるしかない。

そこで初めて、英語というものに真剣に向き合い始めた。

まずはじめにやったのは、意識を変えること。

今までの英語嫌いなどを振り返り、意識改革なしに英語力を向上させることは不可能だと感じたからだ。

とりわけ自分は同級生や先輩、上司等の周囲の目が気になっていたため、"英語を話すこと"に対して、あまり乗り気ではなかった。

そういう感情もあって、「英語話せる?」と聞かれても、「全然です。」と答えることがほとんど。

そういったことを繰り返すうちに、英語に対してマイナスの思考が芽生えてきていたので、まずは「英語が出来ない事を気にしない」ことにした。

そして、「英語できる?」と聞かれたときも「できる!」と答えるようになった。

ただのポジティブ思考と思うかもしれないが、これには理由がある。

"完璧"じゃなくても"出来る"って言っていいじゃん。と思ったからだ。


例えば「泳げますか?」と聞かれて、オリンピックに出れるレベルじゃなくても25m泳げれば、ほとんどの人が「泳げる」と答えるはず。

たがしかし、日本人は英語になると途端に完璧主義になってしまう。

英語も水泳もどちらも同じ話をしているはずなのに。

そう思ったときに、一気に英語に対しての緊張感みたいなのが無くなった。

逆に海外の人に「日本語出来る?」と聞くと、「もちろんさ!!」とかいいつつ、「コンニーチワー」とか「ニンジャ!」とか知っている単語を連呼するだけ。

でもそういった意識を持つのって大事じゃん。と、素直に思った。

上の例えは確か、ドラゴン桜か何かで言われていた話で、この動画をYou Tubeで見たとき衝撃を受けたのを今でも覚えている。


ありがとうドラゴン桜。


英語のリズムを染み込ませる日々



それまでと違い、英語に対してポジティブな意識を持つようになったので、自然と向上心も芽生えてきた。

まず手始めに、英語と日本語のリズムの違いになれるために始めた、とにかく英語を聞きまくる生活。

出勤中や風呂上がりにスマホをつついている最中等、意味がわかっていなくてもとにかく大量に英語を聞く時間を作った。

何度か出勤時に出会う同期をシカトしまったが、おかげで英語のリズム感が見についた。

文字と音を一致させる


英語のリズムに慣れたところで、今度は少しずつ理解しながら聞いてみようという意識に変わってきた。

Podcastなどで台本付きの音源を探したりして、一つ一つの文を意識して聞くように。

そして気づく、「日本人の英語発音と全然違うじゃん」と。

受験英語でリーディングはある程度出来ていたので、台本は読めたが、流れてくる音声は全く聞き取れなかったからだ。

発音問題を解決するために、You Tubeでネイティブスピーカーの動画を見ながらモノマネを見たり、ひたすら海外ドラマをリピートしたりしたが、どれもあまり理解力が上がった実感がなかった。


そして辿り着いたのが、「lyrics training」。
これは洋楽の歌詞を聞き取り、タイピングしていくというもの。

正解のフレーズをタイプできない限り、次のフレーズに進めないという鬼畜ゲームだが、このおかげで「音と文字」がどんどん繋がるようになった。
そして、元々の読解力も助けとなって「聞く→文章が分かる→理解出来る」という状態が出来上がり、リスニング能力がみるみるうちに向上した。

何より勉強してる感がないのが良い。

自分の発言を英語で考える


リスニング能力が向上し始めた時期と平行して、日常の発言をメモするようになった。

大体の人は「英語を話せるようになりたい」という気持ちだけが高まり、具体的にどういうことから始めるか決まっていない。

もちろん自分も同じ状況で、「英語を話せるようになりたい」という気持ちだけが高まるばかり。

出口が見えないまま、ある日ふと気づいた。
「あれ、日々使う言葉を全部メモって英語で言えればよくね?」と。

そこから、徹底的にあらゆる発言を英訳し、メモしていった。

幸運にも、貯めた英語フレーズたちは、仕事で実践する場がいくらでもあったので、覚えては新しいフレーズを海外スタッフとの打ち合わせの場などで使いまくった。

そのおかげもあってかスピーキング力も向上し、職場では英語が出来るキャラに認定されたり、海外出張の場へのチャンスをもらったりすることができた。

そして、完全に自信がついたのが、キャンピングカーでのアメリカ横断旅行。

特にキャンプ場を予約する際の電話対応がスムーズに出来たのが、大きかった。

今までの自分だとジェスチャーも使えないし、英語で電話なんて最も避けたいことだったが、意識改革後の英語学習のおかげで、全く問題なく対応することができた。

このおかげもあって、今こうやって海外に長期滞在する話が夫婦間で出たときになんの抵抗も生まれなかった。

英語力を向上させるメリット



まだまだ英語が出来る人からしたらイマイチだが、それでもいろいろとメリットを感じているので紹介します。

1.友達が増える
2.多くの情報に触れられる
3.色々な価値観を学べる

1は言うまでもないが、本当に友達が増えた。それもインド人からペルー人まで色々な国籍の。

多くの情報に触れられるというのは、Web検索時に特に感じるメリットだ。

旅行の際の現地の情報収集一つとっても、日本の旅行サイトと比べ物にならないくらいの情報を得ることができるからだ。 

正解にたどり着くスピードが上がったので、仕事などでも役に立った。

3は1と少しつながる部分でもあるが、英語でコミュニケーションを行えるようになって、様々な価値観に出会えるようになった。

国が違えば考え方も様々で、そこから学べることもたくさんある。
それに何より意見交換出来てる自分に感動する。
まさか戦争について、英語で意見交換する日が来るとは思いもしていなかったからだ。


最後に


繰り返しになりますが、世間一般でいうと自分の英語力はまだまだ。

だけど、英語嫌いを発症している時期からすると、かなりレベルは上がったし、何よりそのおかげで世界が広がっています。

英語嫌いになっている人や勉強中で挫折しそうな人もいるかもしれないですが、必ずいつか恩恵を受ける日が来ると思います。

行き詰まっている人や何をすればいいかわからない人たちにとって、この文章が少しでも役に立てば幸いです。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



















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