私の責任

偶然つけたBSで、気候変動に対する若者の行動のドキュメンタリーを見ている。以前見た番組だが、今見ても心が動かされる。

底にあるのは、こんな世界をつくってきた大人たちへの怒りだろう。
政治家も企業も誰も責任を取らず、責任を果たそうとしない。

私の知人の大学生をはじめ、多くの若者が、今、入管法改悪阻止のために行動している。
彼らも抱いているに違いない。
こんな差別に満ちた、醜悪な社会をつくりながら恥じることもない大人たちへの怒りを。

それは、私にも向けられるべきものだ。
現実を知りながら、結局は安全なところにいて、動こうとしなかった。

最近、「高齢者は集団自決せよ」と気鋭の学者が言っているようだ。
彼の論理など知らないし、知ろうとも思わない。私自身は、彼の言葉には明確に反対である。
しかし、この言葉自体に納得できるところはある。

それは、未来を奪われようとしている若者たちの怒りだ。
こんな世界を、社会をつくっておきながら、言い訳ばかりの大人たちへの怒りだ。
責任を果たせ。でなければ、責任を取れ。
その言葉は、私に対しても向けられている。当然だと思うし、正しい。

他の大人がどうするかは別として、私は責任を果たそう。

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