保身の構図

虐待事件が繰り返されている。おそらく氷山の一角なのだろう。
いまだに増え続けている。なぜなのだろう。
学校でのいじめも、職場でのハラスメントもなくならない。
自ら命を絶つ人は後を絶たない。昨年から今年にかけて、特にこどもや若い女性の自殺が増えている。

人は、なのか日本人は、なのかわからないが、いつも弱者をつくってきた。
古くは士農工商の下に置かれた人たちであったし、近代以降も差別が続いてきた。アイヌや琉球といった民族的な差別や、障がいのある方やハンセン病などの病気を持った方への差別も続いてきた。
いまも、家庭では子供や配偶者が弱い立場に置かれ、学校や職場でも様々な理由で、弱い立場に置かれている人がいる。社会では、生活保護世帯や性的マイノリティと呼ばれる方々、外国人(特に非白人)などが、その立場に置かれている。
コロナウィルス陽性者や医療従事者への不条理な差別には、日本人の本性の一端を垣間見た気がした。

この構図は、明治以前から今日まで変わらない「保身の構図」ではないか。誰かの上にいることで安心したい。それによって、自分を守れるという保身の精神が、社会に蔓延しているように感じている。弱者をつくることで社会を維持してきたのが、この国なのではないか。

私は、日本に暮らす難民申請者の方の住まいを創ろうと考えている。特に仮放免となっている方には、住民登録も健康保険加入も就労の権利も認められず、社会のセーフティネットである生活保護の対象にもされていない。体調が悪くても病院に行けない人や、住まいを失う人もいる。差別や迫害、命の危険から逃れて日本に来た彼らに対し、祖国に帰って死ぬか、日本で死ぬかの選択を迫っている。
入管で今年亡くなったスリランカ人女性のウィシュマ・サンダマリさんの事件で報道が増え、ようやく、日本人の中でも日本の難民政策について知る人が増えてきた。

地域で、難民の方と学び合える家を創り、若者世代の人たちやこどもたちに、世界や社会を感じてもらえる場を創りたいと思っている。1年以上、家を創るために活動しているが、難民や外国人を犯罪者扱い、なかには昆虫のバッタに例えて公言する人も地域におり、問題の根深さを感じざるを得ない。
それは、やはり「保身の構図」につながることだと、最近ようやく気付いた。虐待も、いじめも、ハラスメントも、差別も、全てつながっている。
翻って、私自身が保身のために動いていたこともある。本当に恥ずかしい。人を批判する前に、自分を変えたい。
私は「捨身」で生きよう。

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