見出し画像

誕生日

今日、1月18日は自分の誕生日。
おめでとう

今年の誕生日は夜勤で過ごす。

人は一生勉強する、なんて言うけど
ホントなのかなって思ったら、
誕生日当日の0時を回ったあたり、
初めて扱う機械の説明を受けていたよ。
勉強しているね。

ずっと立ちっぱなしの夜勤。

無心でいることが難しい性分、
どんな誕生日の迎え方がベストなのか、
考えてしまった。

知っている人からお祝いのメッセージを貰う
誕生日プレゼントも貰う
日勤で仕事してるか、
バースデー休暇で好きなことをしている

と、しょうもないことを考えていた。

もうとっくに大人の年齢で、
30手前に差し掛かっている。

しっかりしてないと、って言われ、
後ろ指を刺されている。

早生まれで、歳をとるのはケツの方で、
実感なんてない。

ただ、見えない背番号が
毎年1つ数字が進んでいる感覚。

見えないものが、
自分で自分の首をしめている。

と、夜勤明け18日の早朝に書いておねむ。

日にちあけて、
今改めて書き綴っているけど、

言わなくていい
思わなくていい
考えなくていい、ことを

言ってしまう
思ってしまう
考えてしまう、のをやめたい年にする。

斜に構えるのが
かっこいいって思っているのか
ひねくれていて、
そこにネガティブが混ざって
救いようがない、気持ち悪さが自分にあって
その気持ち悪さで
人や仕事、好きなこと、とつきあってるから
いいことがない。

ありもしない裏テーマで
自分を締め出し、
相手に対して裏テーマを押し付けて
自分はその陰謀に巻き込まれているだけって
勝手に落ち込んでいる感じ
病気だ。

仲良くなるほど、
気を遣い始める。
同時に心を開き始める。

どこが、
相手の踏み込んだら行けないラインなのか
そこに自分の心、
気持ち、感情をぶつけていいのか
分からなくなる

これ言ったら終わりじゃんっていう、
終末の言葉が脳に浮かぶけど、
それを言わずに、
どう相手に終末の言葉を感じ取らせて
自分がもうギリギリなんだよーって
感じて欲しい、というわがままもある。

たまに終末の言葉を
こぼす時もあるんだけどね。
言わねえとわかんねえもんなって。

といろいろ書いてみたけど
頭の中の記憶を整理したい。
記憶に縛られているところと
その記憶のおかげで
身体が動いているところもあるから
一筋縄にはいかないけど、
ごっちゃごっちゃしてて、嫌。

自分の中で思い描いていることから
少しでも外れたら
それがきっかけで、塊魂みたいに、
いろんな嫌なこと、
悩んでることがくっついて来て、
どうしようも無くなってる。

リセットボタンなんてないし
どこへリセットしたら
そうならない着地点なんて分からないし
走り続けて、
方向、歩幅、ペースを整えるしかない。

正直それさえももう嫌かもしれない。
歩みを止めてリタイアしたい。

何十何回誕生日まで歩み続けられたのは
ひとりのおかげじゃないのは知ってるけど
直近の10年は終わっていたよ、もう。
全部表面だけ、そう見えていただけ。

そこが底だっただけで、
なんて甘いこと言ってくるなよ、
お前に何がわかる。
人生入れ替わってみろ、って思うけど、
これ全部自分に返ってくる言葉なんだよな。

自分だけが苦しいわけじゃないし、
自分から見て輝いて見えても、
その立場になって分かる苦しみがあるから
結局苦しみ、辛さは無くならないんだよ。

自分が感じた負のことを、
相手に対してぶつけようと考えるけど、
結局、負をぶつけても
自分に返ってくるよな、って思って
負が体にまとわりつく。

大人になるってこんなに辛いとはね。

お誕生日ご愁傷さまでした。

画像は自分への最大の皮肉

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?