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【小説】ストロベリーパフェ

「好きなだけ頼んでいいよ」といわれると、逆にひるんでしまうのはぼくだけだろうか。

「うち、お金だけはムダにあるから」
みずきは探検地図をひろげるようにメニュー表を豪快にひらく。

「ほんとにだいじょうぶ?」
不安になってたずねると、みずきは漫画のキャラみたいに目をきりっとさせて、ポケットからとりだした一万円札をぴーんと伸ばしてみせた。

ほんとうにだいじょうぶなのだろうか。みずきがなにを考えているのか、ぼくにはちっともわからない。

水曜日の五限後。下駄箱から靴をとりだすと、一枚の紙切れが宙に舞った。

<金曜4時バス停>

またか、と思う。みずきの字だ。

ぼくとみずきは「ご近所さん」だ。大通りの北側にぼくが住む築35年のぼろい団地があり、南側にみずきが住む宮殿みたいな家がある。5歳のときに、みずきが団地に迷い込んだのをきっかけに遊ぶようになった。

北と南は町名もちがえば、家のきらきら具合もぜんぜんちがう。団地の窓からあっちの世界をながめるたびに、同じ空の下なのだろうかと疑いたくなるほどだ。ぼくの母さんの口ぐせは、「ヨソハヨソ、ウチハウチ。アッチノヒトタチトクラベチャダメ」。

みずきの家には何度か遊びにいったことがある。でっかいソファに、でっかいテレビ。とにかくデカくて映画のセットみたいで圧倒された。くるくるの長い髪の毛をゆらしながらキッチンからやってきたみずきの2番目のお母さん(みずきはひそかに「ボンボン」と呼んでいる。いつもぼんやりしているからだ)は、「好きなだけ食べてね」と焼きたてのテカテカしたアップルパイをテーブルに置いた。むせるほど甘くて一切れでギブアップしたぼくに、みずきは「砂糖の味しかしないよね」と耳打ちした。それからオウェェェと吐く声がきこえてきそうな大げさなジェスチャーをしたので、ぼくは笑い転げてしまった。

みずきとぼくは学校ではめったに口をきかない。同じクラスになったことはなく、ろう下でたまにすれちがうくらいだ。5年生になるとみずきの塾が忙しくなったから、帰りに偶然会うこともなくなった。

でも2学期の途中に突然、下駄箱をつかった指令がはじまる。ノートの切れ端に日時と場所だけ書いてあって、行ってみると公園の池に小石を投げまくるとか、自販機で買ったコーラを一気飲みするとか、つまらないことばかりに付き合わされる。みずきはいつも「ずっとやってみたかったんだよね」と言う。

そして今日はとうとう、ファミレスに強制連行されたというわけだ。

「ずっと行ってみたかったんだよね!」

ボンボンが買ってきたという薄ピンク色のワンピースのすそをひらひらさせながら、みずきは目を輝かせた。

「ビーフシチューオムライスwithエビフライ&カニクリームコロッケと、サイコロステーキ、それから食後にいちごパフェとチョコレートパフェ、ブレンドコーヒーをください」
「コーヒーはドリンクバーでご自身で淹れていただく形になりますがよろしいでしょうか?」
「あ、そっか。ドリンクバーをふたつお願いします」
注文を終えたみずきは満足そうにうなずいた。

「大人が敬語使ってくれるの最高。お客様は神様、わたしは神様」

呪文のように唱えて、さっそくスキップしながらドリンクバーに向かう。

ぼくが最初に頼もうとした煮込みカツ定食は「ファミレス感がない」というへんな理由で却下され、チョコレートパフェもドリンクバーも勝手に追加されてしまったけど、正直もうどうでもいい。

めったに食べられないごちそうが、いまから目の前にやってくるんだ。

運ばれてきた料理は、なんだかくらくらするほど光っていた。湯気がもこもこ上がって、アラジンのランプから飛び出してきたみたいだ。みずきは「わーお」というふうに口を大きくあけている。このくらいのごちそうなら、毎日でも食べてそうなのに。

ビーフシチューソースがたっぷりかかったぷるぷるのオムライス、金色のエビフライとカニクリームコロッケ、じゅーじゅーと花火のような音を立てるサイコロステーキ。テーブルの上は一気に楽しい色と音でいっぱいになった。ぼくはなぜか、サーティワンアイスクリームのなんとかシャワーってのを思い出した。まえにCMで見たやつ。

「いただきます」
「いただきます」

みずきが手を合わせたのでぼくも急いで合わせる。こういうのを「育ちがいい」っていうんだろう。

食べているあいだ、ぼくたちはくだらない話をたくさんした。ちがう、みずきがひとりでしゃべりまくった。教育実習生のお兄さんが細マッチョだとか、担任の先生のズボンがダサいとか、斜めまえの席の子がトイレまでいちいちついてきてうっとうしいとか、魔法使いがいっぱいでてくるファンタジー小説の新刊が待ちどおしいとか、「それにしてもボンボン趣味わるすぎ。女の子にはピンク着せとけばいいっていうアンイな考えがあるんだよ」とか、そういう話。みずきはもともとおしゃべりだが、今日はいつも以上にぺらぺらしゃべる。

ぼくは分厚いサイコロステーキを必死に噛みながら「へえー」とか「うん」とか適当に返事をした。「その服、夢の世界っぽいところがファミレスに合っててわるくないと思う」と一度だけ意見を言ったら、みずきはすごく微妙な顔をした。やっぱりだまっておけばよかった。

そうしているうちに皿と鉄板はからっぽになって、前髪をばちばちに固めたかっこいい店員さんがパフェを運んできた。

「きたきたきたきた」
「いえーい!パフェだー!」

みずきが何人分もの歓声をあげる。ぼくも「すげー」とつぶやく。きらきらしたパフェは、みずきにすごくマッチしている。人には似合う食べものがあるんだと思う。

ぼくたちはパフェをじーっと見た。山盛りのいちごに、生クリーム、バニラアイス、いちごムース、いちごソースが地層みたいに重なってるやつと、でっかいチョコレートブラウニーがてっぺんにのってて、ごろごろのバナナ、生クリーム、チョコレートアイス、コーンフレーク、チョコレートムース、チョコレートソースが入ってるやつ。なんだよ、ぼくのパフェはコーンフレークが3分の1以上を占めてやがる。大人のきらいなところはこういうところだ。

「あとで分け合いっこしようよ」

みずきが言うので、ぼくはしぶしぶオッケーした(いちごは酸っぱいしブツブツがきもちわるいから、ほんとはあんまり好きじゃないんだけど)。

ぼくはまじめにパフェを食べた。巨大な山のようなパフェとみずきの顔を見ていたら、まじめにならなきゃいけない気がした。みずきはポッキーみたいな体にオムライスもエビフライもカニクリームコロッケも詰めこんで、さらにパフェまでへっちゃらそうに食べている。ぼくも負けちゃいられない。

ボンボン特製アップルパイほどではないが、チョコレートパフェはめちゃくちゃ甘くて、1ミリだけ苦かった。口のなかでアイスやチョコやいろんなものがとろとろ混ざって、舌に生クリームの味がもったりのこる。ひんやりした甘さと苦さが喉をひりっとさせてから、胃のなかにぽとんと落ちる。

そこまではまあいいんだけど、さっきの肉と生クリームが合流するところを思い浮かべると吐きそうになった。きっとぼくは食べすぎたのだ。みずきはだいじょうぶだろうか?

「無理してない?」

ぼくはたずねた。するとみずきはしゅっとまじめな顔になって、

「女をなめちゃだめ」

と静かに言った。急にオンナとかいわれてちょっとビビる。
ぼくは、オンナをなめているのだろうか?

「文太はさあ、」

口元に生クリームをつけたみずきが言う。

「どうしていつもついてくるの?」

ぼくは意味がわからず首をかしげる。

「だから、どうしてわざわざ来てくれるの?ってこと」

みずきはぼくの目をじっと見てくる。

「どうしてって……」

真剣に悩んでいると、みずきはぷっと吹き出して言った。

「まあいいや。わたしたち、ずっとご近所さんだもんね」

みずきはすっと立ち上がり、ドリンクバーのほうに歩いていく。ぼくはその背中をぼうっとみつめて、くるんとした髪の毛がボンボンに似てきたなあと思った。いちごパフェをひとくちだけ食べてみたら、酸っぱくて微妙だった。

みずきが持ち帰ってきた白いカップには、コーヒーが入っていた。洞窟の穴みたいに真っ黒で、いかにも苦そうなへんな匂いがする。

「ずっと飲んでみたかったんだ。飲んだことある?」

首を横にふると、じゃあいっしょに飲もうとみずきは言った。

みずきはカップにそっと口をつけ、その液体をちびりとなめた。それから眉をきゅっとハの字にして、次に首をゆっくりかしげたかと思えば、なぜかうんうんうなずいている。

「文太くん、きみも飲んでみたまえ。大人の味がするぞ」

どんなものかと飲んでみたら、ぼくはひとくちでむせて咳き込んだ。みずきは腹をかかえて笑った。

ぼくたちは7時まえにファミレスを出た。パフェを食べ終えるころに眉間にしわを寄せた知らないおばさんが近づいてきて、「あなたたち、ふたりで来たの?小学生?」と声をかけてきたのがきっかけだ。

「中学生です」

みずきが堂々とうそをつくと、おばさんは「そうなの。楽しそうでいいわねえ」と言って去っていった。夜に子どもだけでファミレスなんて!と説教されると思い込んでいたぼくたちは拍子抜けして、どうしてかわからないけど、そろそろ家に帰ろうと思ったのだ。

ぼくたちはバスのうしろから2番目の席に座った。みずきは珍しくだまって外の景色をながめていた。一瞬、窓に映るみずきと目が合って、ぼくはとっさに顔をそむけた。なんとなく、見ちゃいけないものを見た気がした。

窓の外はまっくらで、街灯が空ににじむように光る。イチョウの葉っぱはうっすら黄色くなっていて、町を歩くひとたちの格好は冬に向かってずんずん進んでいる。まだ半袖のぼくは、世界からとり残されている気がする。ふわふわの白いカーディガンを羽織っているみずきは、たぶん、ちょっと先にいる。

みずきとはそれっきりだった。学校ではすれちがうだけで、紙切れの指令はこなくなって、そのまま二学期が終わった。そしてみずきは、冬休みにこの町からいなくなってしまった。ボンボンといっしょに。

あの日、家に帰ると母さんにこっぴどく叱られて、母さんとボンボンが大人の電話をして、次の日にはクッキーがどっさり入った缶を持ってみずきの家に謝りにいって、逆にボンボンに何度も謝られた。「みずきと仲良くしてくれてありがとう」とも言われた。隣でみずきはわざとらしくうつむいていたから、ぼくは笑い出しそうになったけど、そのとき気づけばよかったんだ。いや、ちがうな、バスで気づけばよかった。

最後だったってこと。

3学期の始業式の日。下駄箱から上履きをとりだすと、一枚の紙切れが宙に舞った。


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文太へ

わたしはボンボンについていくことにした。
服の趣味悪いし、料理下手だし、ぼんやりしてるけど、いいやつだから。
文太とファミレスに行った日も、「パフェに何個いちご入ってた?」ってうれしそうにきいてきたんだ。笑っちゃうよね。

ボンボンは、自立ってやつをするらしい。だから無理をするんだって。わたしにはよくわかんないけど、ボンボンならできると思う。
それに、なんかいいなあって思う。わたしも早く、自立したい。

文太とご近所さんで楽しかった。お隣さんだったらもっとよかったのに。

いつもついてきてくれてありがとう。

じゃあね。

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この作品は、生活に物語をとどける文芸誌『文活』10月号に掲載されています。今月号のテーマは「たべる」。おいしい食べものでいっぱいの、読むとお腹が空いてくるような小説が並んでいます。文活本誌は以下のリンクよりお読みいただけますので、ぜひごらんください。


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