見出し画像

表現することの怖さと喜び

noteに投稿するとき。Twitterでつぶやくとき。

わたしは今でも、震えています。

まだ30年足らずの短い人生ではありますが、自分なりに色々な体験をし、色々な人と出会うなかで、表現すること・言葉を使うことに対してどうしても敏感にならざるを得なかったからです。

だれかが深く考えずに言った一言が人の心を容易に潰し、人生まで狂わせてしまうときがあることも、他人の気持ちや行動に勝手に裏面をつけて、軽んじたり、憎んだり、嘲笑ったりする人がいることも、幸せそうに見える人でも当人には制御不能なほどに深い孤独や悲しみや嫉妬に苛まれることがあるということも。

身近な人たちや私自身の経験から、少しずつ学んできました。まだまだ未熟な人間ではありますが、大切にしたい価値観のようなものも少しずつ形成されてきました。


昨日、教養のエチュード賞で副賞をいただきました。物書きや放送作家として活躍する嶋津亮太さんが個人で開催なさった賞です。

応募者一人ひとりの気持ちのこもった作品を何回も読み、丁寧にコメントをつけて紹介する嶋津さんの真摯さに多くの人が驚き、感動したのはいうまでもありません。

嶋津さんが表現そのものや表現する人々を心から愛し、尊重し、それを行動にそのまま表せる、類稀なる人間性や行動力を持った方だからこそ、この賞にたくさんの素晴らしい作品が集まり、盛り上がったのだと思います。

私も嶋津さんのお人柄や過去の作品に惹かれて応募した人間のひとりです。ありがとうございました。

私が書いた作品は、自分の名前の由来と人生とを、童話チックな小説の形で表現したものでした。公開時にTwitterでコメントを付したとおり、自分のために書いたものです。

きっかけは、Saeさんのこちらのnote。ご自身の名前が大好きだというSaeさんが、その魅力を存分に語ってくださいました。読んでいて非常に面白く、名前っていいな、と思わせてくれる作品でした。

これを読んで、私は勇気をもらいました。

こんなふうに素直に書いていいんだ、自分の一部を好きだと叫んでいいんだ。

そう思ったんです。そして私も自分の名前をとても気に入っているから、書いてみたくなった。それが「ある船乗りの物語」の始まりです。

小説の形をとったのは、単純に面白そうだなと思ったし、久々にフィクションっぽいものを書いてみたかったから。そして実際の人生や親のことを語り始めると、支離滅裂になって書き上げられないような気がしたから、という理由からでした。

フィクションっぽくすることで少し距離を置いたところから自分を眺められそうな気がしていました。そのおかげか、思っていたよりはスムーズに書き上げることができました。


でも正直、公開するのは怖かった。だってそもそも、自分の誕生日を祝うんだから。しかもわざわざ当日に公開して。

祝ってもらいたいだけじゃん。自分大好き人間じゃん。小説にするとか、和歌も入れるとか、ナルシストも甚だしい。インテリぶってて気持ち悪い。

そう思われても仕方がないと思っていました。

そもそも私は、名前の由来をnoteで公開すること、名前が好きだと叫ぶこと自体が、快くないこととして他人の目に映る可能性があるのではないか。その点からすでに心配していたのです。noteのタグ企画にはなっていましたが、Saeさんのnoteを読んでいなかったら、テーマとして選んでいたかどうかすらわかりません。

でもいざ公開してみると、noteのフォロワーの方からもnoteユーザーではない友人からも温かい言葉の数々をいただきました。本当に嬉しかった。

Saeさんのこちらのnoteにも書かれていましたが、自己承認欲求だとか、自己顕示だとか、そういった言葉にまとめられてしまう可能性があるものでも、その単語でまとめずに大切に扱ってくださる方がいる。それは表現するすべての人間にとって、希望になりうると思います。

嶋津さんをはじめ、読んでくださった方、反応をくださったすべての方に感謝しています。

最後に、私にとって文章を書くことがどういうことなのかは、まだよくわかりません。模索している最中です。

小さい頃からなんでも一番になりたがるところがあったし、人に褒められるため、評価されるためにがんばるところがありました。小中学生の頃の作文コンテストでは、過去の入選作品などをみながら、大人が気に入りそうなものを研究して書いていました。嘘を書いたこともあった。

でも大人になるにつれて、それだけじゃだめなんだと気づきました。それが目的じゃだめなんだ、と。

心の底から好きで勉強している人にはかなわないし、心の底から出てきた言葉を素直に表現している人にはやっぱりかなわない。だれかに心の底から伝えたいことがあって、それを真摯に伝えようとしている人にはかなわない。

かなう、かなわない、なんて言葉を使っている時点で、かなわない。そういうものだと思います。

それがわかっているからこそ、私は模索し、どんな形に収まるかはわかりませんが、休み休みでもいいから、書き続けたいとも思っています。ときには足かせとなる自意識やプライド、自分の弱さや嫉妬心とも向き合いながら。


嶋津さん。

文章と向き合い、そして自分と向き合う貴重な機会をいただき、本当にありがとうございました。


読んでくださったすべての皆さん。

いつも本当にありがとうございます。これからも仲良くしてください!


この記事が参加している募集

noteでよかったこと

お読みいただきありがとうございました! スキもシェアもサポートもめっっっちゃうれしいです。 今日も楽しい一日になりますように!