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NZ life|バラのトゲが刺さったようで

ニュージーランド生活44日目。
天気くもり。気温21度。汗ばむ。夏はやっぱり苦手。

昨日は一日ゆっくりしてリフレッシュできたので、今日からまたお仕事をテキトーに頑張る。


午前中はお庭仕事。朽ちてしまった草木を手入れし、見た目をよくしていく。ニュージーランドっぽい南国感のある木がたくさんある。

ついつい名前がわからなくて「あの雑草も取っておくか」と思うたびに「雑草という草はない」の言葉を思い出す。ごめんなさい牧野先生。


剪定バサミでチョキンチョキンと切っていく。簡単に切れるもの、思ったより力がいるもの、手応えのないもの、勝手に折れるもの。見た目からでは「どんな風に切れるか」が想像できず、おもしろい。


考え事をしながら切っていると、不意に左手の人差し指に痛みを感じた。小さな電気が走ったような、ピリッとした痛み。

はっと手元を見ると、そこにはバラがあった。細くて長いツルから、たくさんのトゲをむき出しにしている。


トゲが刺さっちゃったか。手袋を脱いで確認するけれど、血は出てこない。でもすごく痛い。痺れるような痛みが続く。

こういう時、いっそ血が出てくれたらいいのにな、と思う。そしたら「ああ、怪我をしたんだ」と認識できるし、手当てもできる。手当てをしたら怪我というものはきっと良くなるし、絆創膏を眺めながら回復を待つ時間だって愛せると思う。

でも血は出ない。いつまで経ってもそこには「元気そうな指」があるし、私にしかわからない痛みが続く。完全に困ってしまった。私は「元気そうな指の治し方」を知らない。


多分きっと、こういう「見えない怪我」「名前のない怪我」ってたくさんあるんだと思う。厄介なことに見えないから、名前がないから、負った本人が気付けないし、調べようがないし、対処の仕方もわからない。

だからいっそ、見えるようにすればいいのかもしれない。わかりやすく名前をつけてしまえばいいのかもしれない。


年末に向かって日々を過ごすと、どうしても「今年の振り返り」をしてしまう。私はあの時どう感じたのか、何が嫌だったのか、本当はどうしたかったのか、全てノートや紙に書き出していくことにする。

見えていなかったものが見えるようになれば、それらに名前をつけることができるはず。名前があれば、ある程度は対処できるのかもしれない。

クリスマスも目前だし、年末もすぐそこ。なんだか町中が、いや世界中がソワソワとしている。


自分が思っている以上に好きなもの、大切にしたいもの、これから手に入れたいもの、いろんなものが煩悩のように沸々と湧いてくる。

そこで消してしまうのではなく、書き留める。目に見えるように形をつける。そして名前をつける。

そうすれば「元気そうな心」もきっと正しく治療できるし、ちゃんと元気な心になっていくはず。


バラの花は控えめなピンク色で、人を傷つけたことなんてないかのように、そこに佇んでいた。

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