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王国のあさ(6)

 ――ぶうらり、ぶらり。宙ぶらりん…。
 …逆さに吊るされた、てるてる坊主が揺れています。
 誰かが、雨ごいをしているのでしょうか…。
 その子は体育が苦手で、明日の運動会が中止になってほしいと思っているのかもしれません。一見、ほほえましい光景に思えます。
 ―――ぶうらり、ぶらり…。
 てるてる坊主が、くるりと向きを変えます。逆さに吊るされた、顔がみえます。…それは、わたし、と誰かが言った…。
 五歳の私が、揺れています…。
 スカートとトレーナーはまとめて一緒くたにされ、顔にかぶせられています。
 だから、わたしは目が見えません。見えないはずなのです。
 それなのに、今見えている光景はなんなのでしょう。
 みじめな格好に、膝がひらかれています。奥に、痛いものがはいってきます。
 …ねえ、優ちゃん、痛い。今入れられてるの、なに?
 五歳の私は、十二歳の従兄にたずねます。彼は、私に答えます。
 …なんでもない。なんでもないんだって!
 なんでもないんだったら、こんなに痛いはずがありません。
 従兄の力は、強い。私はもがいて、必死にそれを見ようとします。
 自分の息が暑苦しくこもったトレーナーとスカートをずらして、なんとか隙間をつくります。
 私に痛みを与えているのが、なにか見きわめようとします。
 …見るなって! とたんに遮られ、乱暴にスカートがかぶせられました。
 従兄の息が、荒くなります。
 もう、私にかまうどころではないようです。
 痛いし臭いし、私はイヤでたまりません。…なんだろう、これ。とても、つめたいの。
 …はははははは、あははははは。
 華やかな笑い声が、階下から響いてきます。
 従兄の母である雅美おばさんと、私の母が笑っています。とても、楽しそうに。
 おじさんは団地をでるために、新しいおうちを建てたのです。
 今日はその、だいじなおひろめの日。
 おばさんは、とてもうれしそう。わたしの母まで、うれしそう。
 …すてきねえ。私もこんな家、建てたいわあ。自分のおうちがあるのって、最高のしあわせだもの。いいわねえ。
 …あんただって、忍さんに建ててもらいなさいよ。
 …ええ。…でも、うちの旦那、甲斐性なしだもの。できるかしら。
 …大丈夫よ。住宅金融公庫から融資を受けてね、三十年ローンにすれば払えるわ。
 …あはは、あはははは…。
 …ねえ。お母さん。
 わたしはなぜ、こんな目にあっているのでしょうか。
 楽しく遊んでいる、妹のアゲハたちのはしゃぐ声を聞きながら――気が、遠くなりそうです。
 …いつの間にか、従兄がいなくなっていました。
 わたしはひとり、従兄の部屋にとり残されています。
 真新しいおうちの二階、一番奥にあるその部屋は、誰も入ってこないようなのです。
 …いいえ。
 そういえば、さっきの痛いことをしている最中に、従兄の――弟の拓ちゃんが入ってきました。
 …そうです。私は必死に叫ぼうとしました。
 優ちゃんが、拓ちゃんを叱りつけました。…あっちへ行ってろ、来るな!
 拓ちゃんは、ふたたびアゲハのところにいって、積み木をして遊びます。
 おばさんと母は、目を細めて言いました。
 いとこ同士、それぞれ仲がいいものねえ。
 拓ちゃんとアゲハちゃん。優ちゃんとアケヲちゃん。
 …あれを、仲がいいというのでしょうか…。
 目の前がすっと、暗くなりました。
 
 …それはさわやかな、登校時のできごとだったと思います。
 朋美ちゃんが、わたしにそっと耳打ちしました。
 …ねえ。どうやったら子供ができるか、知ってる? 男の人と女の人が、お尻とお尻をくっつけるんだよ。…言っちゃった、きゃあっ。
 頬を真っ赤にして腕を振り回す彼女の前で、わたしの心は凍えていました。さげすむように、言いました。
「――知ってるよ、前から」
 …そんなこと、とっくに。
 体をくっつけるだけではないことまで、知っている。痛みとともに、自分自身の肉体で。
 わたしは、朝を呪いました。無邪気な友人を呪いました。
 ――ははっ、ははははは…。
 バカバカしくて、涙がでそうです。私の目はいつも乾いていて、湿りを帯びることもないのですが。
 思いださなければよかった。無意識の底に沈めて、忘れて、結婚をして。
 すべてが終わるというその瞬間に、ぽかりと思いだせばよかったのに。
 わたしの目は、みつけます。
 鋭く光り、文字の海の中から正確な情報を拾いあげて示します。
 皮肉なことに、父がめずらしく上機嫌で買い与えてくれた百科事典の中から、答えはみつかったのでした。
 ソウニュウ。セイコウ。シャセイ。
 ニンシン…は、しません。わたしは五歳でしたから。
 あのことは二、三度くりかえされ、そのたびに痛い思いをしましたが。
 妊娠はしないことまで、わたしは知っていたのです。
 …へええ、処女膜。そんなもの、とっくに破れているに決まってる。
 せめて、従兄がわたしを好きだというのなら、すこしは理解できたのに。
 彼の目は粘っこく細められ、きれいな従姉を追っています。
 …知って、いました。
 わたしはただの、ジッケンダイです。
 …知って、いました――。
 

 ――死ね、死ね、死ねっ!
 ――ころせ、コロセ、殺せ――!
 わたしは、ベッドの木枠を叩き折ります。奇声をあげて飛びかかり、恨みの根源を叩き壊します。
 …従兄が、わたしの体になにを入れていたか、ですって?
 …ベッドの、支柱の。天辺につけられた、飾りの突起ですよ。
 つめたくて固い、金属を。
 …まるであざ笑うように、お揃いなんです。
 従兄と色違いの同じベッドに、長年わたしは寝かせられていたのでした。
 はははっははっは、ははははっは…!
 ニンシン…するより、もっと悪いじゃない。
 直接触る必要すら、ないんだ。道具をぶちこめば、いいんだ。
 ひややかに見下ろせば、いいんだ。
 観察すれば、いいんだ…。
 …ねえ。
 …ねえ、それ…楽しい?
 …優ちゃん、アレって楽しかった…?
 わたし、優ちゃんにお返しをあげるね。
 おとなになったら、いつかきっと、たくさんお返してあげる。
 だって、楽しかったんでしょう?
 じゃあ、わたしのお返しもきっと、楽しんでくれるよね…?
 魔女の、祭りだ!
 焔を燃やせ!
 本を燃やせ!
 心を壊し、すべてを燃やせ!
 祭りだ、祭りだ!
 サバトの夜は更けゆき、燃やすものとてない白き灰燼に、すべてを帰するまで。
 ――破壊を、尽くせ!
 ――すべてを滅ぼし、殺し尽くせよ、ホサンナ――!

 全てを思いだすという遠い道のりを経て、ようやく口を開いたわたしに。
 母は、言いました。
 「――そんな、こと…。…ソンナコト…アル ハズ ガ ナイ」
 ――ナイ、ト オモエバ、スベテ ハ キエル。
 魔法の呪文を唱えたその瞬間から、私は母の敵となったのでしょう。
 いつも仲良しの雅美おばさんの、だいじに育てた長男の優ちゃんが。
 そんな、いやらしいことを陰でしていたなんて。
 そんなイヤラシイ嘘をつく、この娘は。
 とんだ、嘘つきだ。バカ者だ。
 信用なんか、できるもんか。
 はなっから、嘘をつくことばっかり考えてるんだ。
 いつも、私を、陥れようとしているんだ…。
 
 …床に流れる涙は、つめたい。
 妹の宿題をおしえていたときです。不意に父の足で床に蹴り飛ばされたわたしの涙は、とうに温度を失っています。
 頭を押しつけられながら見た、その床の板の目地を…、よくおぼえています。
 ……………。
 わたしのトモダチは、殺されました――。
 わたしのココロは、殺されました――。
 ワタシは……、
 わたしは、一体――
 ――ニンゲン
 なのでしょうか?

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