見出し画像

魂の三島由紀夫

三島由紀夫という作家について、長年モヤモヤした気持ちを抱えていました。
自分が生まれる前に活動し、亡くなった作家のことが、なんでこんなに気になるんだろう?
彼がジェンダーと、自己の存在にかかわる問題をかかえていたからだと思います。
男として生まれながら、華族の栄華に憑かれた祖母に嫋やかさを期待され、育てられた三島由紀夫。
女として生まれながら、家業の後継とすべく長男的ふるまいを期待され、失望され続けた自分。
男女反転の鏡像は、私自身の屈折を覗き見る良き鏡でありました。
他人事でないという感傷も、同情もあったと思います。
いろいろ調べて、三島由紀夫の書生だった作家、福島次郎氏の『剣と寒紅』(遺族により発禁になった小説)も手に入れて読みました。
むろん、悪くはありません。
作家の観察眼でもって、三島由紀夫とその母堂の関係性の歪みを見抜くあたり、さすがと思わせられます。
しかし、多くの頁を割いて語られる三島由紀夫の性遍歴は、特段私の知りたいことではありませんでした。
本人が自己実現できて満たされているのなら、傍目にヘンタイと見えようと、割とどうでもいいと思っているからです。
なんならプライベートでは振り切れたヘンタイであるほうが、社会的には良き人になれたりします。
…閑話休題。
私の知りたいことは、そこじゃないのです。
性欲もなく、名声でもなく。
三島由紀夫自身の魂は真になにを求め、餓えていたのか。
その答えが、ここにありました。

高木鉦太郎さんは男性です。
ですから、男性の肉体を持つ者としての特性を踏まえ、三島由紀夫の性的嗜好について鋭く読み解いておられます。

三島氏は、自衛隊での体験入隊中、何度も、若い隊員たち一緒にお風呂に入っています。その写真もあります。
 女性の乳房やお尻や太腿や、・・・つまりは女体のどこもかしこも大好きで、女性とセックスがしたくてたまらないあなた。
 あなたが、もし、若く、はち切れそうな肉体を持ってゐる女性たちと一緒にお風呂に入ったら、どうなりますか?
 あなたももちろん全裸です。
 どうやって、あなたの身体の一部の変化を防げますか?
 文字通り肌を接するほど近くにゐる女性たちに、あなたのその身体の変化について気づかれずにすますことができますか?

三島氏が自衛隊員の若者たちとお風呂に入ってゐる写真では、どの写真でも、まったく屈託のない笑顔をしてゐます。

 性的な興奮とはほど遠い、やっと友達ができてうれしくてたまらないといふ表情。誰が見ても、この子はずっと孤独だったのだとわかる笑顔です。

ズバリ、これだと思いました。
これが、私の求めていた答えです。
三島由紀夫は、同性と健全な友情を築くことができませんでした。
権高な祖母に手弱女教育を施され、日光にあたること禁じられため、男児から「モヤシ」と揶揄されます。
肉体のあるべき性としての男性たちから、異物として弾き出されたのです。
そうかといって、彼は女性に所属することはできません(もしもそれができていたら、早世することはなかったろうと思います)。
なぜなら、彼は祖母から女性として失格者と見做されていました。
男児としての活発さ、身体の特性を女児として「あらまほしくない」≒「醜い」と規定されていたからだと感じます。
女性らしさを自然に表出することのできる女性に対して、三島由紀夫がどう感じていたのかはわかりません。
ただ、妻子を持ち家庭を構えることに、超人的な努力と鋼の克己心を要したのは確かであろうと想像します。
三島由紀夫の魂は、誰よりも孤独でした。
彼はただただ、ひとえに友だちがほしかった。
その真意を掘り当てた高木鉦太郎さんの記事に、私は深く感服いたしました。
そして、思うのです。
衝撃的な終幕から半世紀以上を経て、ついにあなたの理解者が現れました。
…平岡公威さん。
あなたは、もはや独りではありません。
あなたの心も、ひとりではありません。
あなたの心が、ある人々の言うように女に近いものだったとしても。
福島次郎氏の書かれたように、針金めいた人好きのしない、貧弱な肉体だったとしても。
そんなこと、どうだってよいではないですか。
あなたの文学に登場する人物さながらの、美しい肉体や容貌。
そんなものを備えて生まれてこなかったからといって、それが一体どうだというのでしょう。
あなたの書く文章は、いつも息を呑むほどに美麗でした。
あなたはつねに、きびしき美の求道者でありました。
あなたの心は、うつくしいものを鏡沼のように映し出していた。
それはあなたの魂がうつくしさに感応し、よろこびにふるえていたからだと感じます。
焼けつくほどに友を欲しながら、誰一人として仲間を持てなかったひと。
男にも女にもなれずにふるえていた、魂のひとよ。

平岡公威さん。
あなたはただ、あなたであるだけで良いのです。
あなたの魂は、あなたがあなた自身であるゆえに、価値があるのです。
醜さもうつくしさも、すべては降り積もる年月に覆われてゆきます。
あなたの肉体はたしかに、この地上から消え去ったたかもしれません。
しかしあなたの作品は、半世紀以上を経た今も輝き残り、わたくしたちの心を捉え続けているではありませんか。
あなたの心は作品の中にとどまり、燦然たる光を放射し続けているではありませんか。
あなたの魂のふるえを聴き、読み解こうとする真摯な試みが、今も続けられているでありませんか。
あなたは、ひとりではない。
もう決して、ひとりではない。

ご冥福をお祈りいたします。

命日によせて


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?