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許せる、と思った。

たぶん、4月中旬から下旬ぐらいに見た夢。
明晰で印象的だったので記録したかったが、忙しくて忘れてしまっていた。

私は誰かの家の中にいる。
アパートと部屋ではなく、あまり新しくない一軒家だった。
よく見てみれば、ずいぶん訪れていない私の実家だった。
台所には母がいて、料理をしていた。
食材や皿が出しっぱなしになっていたので、片付けを少し手伝った。
珍しいことに母は不機嫌ではなく、家の中には平和な空気が流れている。
私はどうも高校生のようである。
朝食の後、学校に行くために紺色の制服を着た。
登校時間が迫っているので、急いで家を出る。
車で行こうかな、と私は思う。高校生なのにおかしいのだが、夢の中ではおかしいと感じない。
中学生の妹も遅刻しそうなので、車に乗せてあげようと誘う。
自転車を出そうとしていた妹は、素直に喜んでいた。妹には何をしてもほとんど喜ばれたことがないので、珍しいなと思う。
家の敷地を出ると、砂利道の脇に父の仕事用のトラックがエンジンをかけた状態で停まっていた。
運転席には父がいる。これから現場に向かうところらしい。
私は父に話しかける。
何を話したかは忘れてしまった。
何か、小さな親切レベルのことをしてあげたのだと思う。
父「ありがとうな」と言い、黒目がちの目で私の顔をじっと見る。
感謝の言葉など、一度も口にしたことのない父である。
私は大変驚いて、じわじわとうれしくなってくる気持ちを新鮮に味わっている。
母も家から出てきて、父に合流した。二人で現場に向かうらしい。
私と妹は学校に向かうので、父母とは行先が別なのだ。
まだ驚いている気持ちのままで、目が覚めた。
そして、とても満たされていて幸せな気持ちだった。
これまで父と母のことを散々恨んできたけれど、もう終わりにしていいんじゃないかと思えた。
許せる、ような気がした。
不出来な人が不出来なままに不出来な子供をつくって、いろいろ大変だっただろう。
私という子供はひねくれていて、素直ではなかった。屁理屈で大人をやりこめるような、変に知恵の回る子供だった。
両親ともに、さぞかしやりにくかったことだろう。
許せる気持ちになったからといって、すぐに関係を修復しようとは思えないけれど。
少なくとも、「あれをされた。こんなことをされた!」と訴えたい気持ちは消えた。
自分はけっこう幸福なのではないかと感じた。
そんな朝だった。
晩年の父は、祖母の遺影に怯えていた。財産を勝手に使いこんだからだろうけれど。
罪悪感を紛らわせるために酒量が増えて、意識を混濁させたまま死んでいった。
ありがとうという言葉を口にした父の顔からは、不機嫌さは拭い去られていた。ある種満たされていそうな顔をしていた。
死んでからでもそんな気持ちになれて、よかった気がする。
間違いなく地獄行きのような生き方を終えた人だったけれど。もしかしたら、もう少しマシな場所にいけるのかもしれない。
そうだといいね。
お父さん。
あなたのことを、きらいじゃなかった。
キライだったら、こんなに苦しまずに済んだもの。
たぶんもう、あなたの夢は見ない気がする。
さよなら。



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