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王国のあさ(5)


 藤原アケヲの告白


 …何から、話しましょうか。
 たくさんあって、どこから手をつけたらいいか、わからない片付けみたいに。
 心の中が、散らかっているんです。
 …そうですね。
 わたしの名前。
 本当は、アキラ…だったみたいです。
 男の子がほしかったので、名前はそれしか考えてなかったそうなんです。
 父は、忍という名前のせいで、女みたいだとからかわれたらしくて。
 男らしい名前をつけてやるんだって、周囲に言っていたそうです。
 それなのに、わたしが生まれて…。期待はずれだったですね。
 だから、アキラを少しいじって、わたしの名前をつけたんだそうです。
 父は、鉄工所の後継ぎをほしがってました。
 自分でつくった会社ですから、一代で終わりにしたくなかったんでしょう。
 …父方の親戚から、養子をとろうか、という話も出ていて…。
 わたしはそれを、偶然聞いてしまったんですね。
 もしも従兄がこの家にやってきたら、わたしはとうとう捨てられる…。
 その思いは、わたしをひどく怯えさせました。捨てられる予兆は、以前からありました。
 小学校の学芸会――今は学習発表会、というんでしたか。
 わたしが低学年のときだったと思いますが、父と母がそろって見にきてくれたことがありました。妹のアゲハも一緒です。
 それぞれの学年が器楽や踊りや、劇を披露するんです。
 わたしは劇が大好きだったので、とても楽しかったのを覚えています。
 お昼は、いつもの給食ではありません。
 体育館にござを敷いて見ている父母のところに行って、特別なお弁当を食べるのです。
 運動会ほどではありませんでしたが、各家庭が朝早くから重箱に巻き寿司を詰めたり、子供にとってはお祭りのようなものでした。
 わたしは、父母をさがしました。
 見にきてくれたのは、確かです。
 舞台の上から、彼らをみつけたのですから。
 自分の出番が終わって児童席に戻る際に、わざと遠回りをして、居場所を確かめておいたのですから。
 どんなにさがしても、両親はいません。
 ごちそうを食べているみんなを尻目に、べそをかいて歩きまわる子供の姿は、奇異に見えたのでしょう。
 誰かが先生を呼んできて、わたしは教室につれていかれました。
 そこには、仕事やいろいろな事情などで親が来れない子供たちがいて、お弁当を食べているのでした。
 …アケヲちゃん、これ食べる?
やさしい子がいなり寿司をくれて、わたしはまた泣きそうになりました。
 たくさん泣いて、お腹が空いていたからです。
 学芸会に来られなかったその子のお母さんは、せめてお弁当だけでもつくって持たせてくれたのでしょうか。
 やさしいお母さんだな、と思いました。
 …わたしの両親ですか?
 先生が連絡すると、電話にでたそうなんです。
 誰かが危篤とか、急用ができたわけでもなく。
 実に、ふつうの態度だったそうです。
 先生は、首をひねっていましたね。
 …突然帰った理由ですか?
 妹が飽きたとか、急に帰りたくなったとか。
 そういう理由で、連絡もなくいなくなる親なんです。
 自分の感情で、子供に食事を与えない。
 それを、夫婦で楽しそうに実行してましたね。
 親がいないほうが、しあわせですよ。
 いるのに、いないなんて。
 誰に話しても、わかってもらえませんから…。
 養子縁組の話は、そのうち立ち消えになったようでした。
 伯父にしても、自分の息子を養子にだす気になれなかったのかもしれません。
 そのかわり、わたしには縁談が持ちこまれました。
 父の鉄工所で働く若い人に、かならず聞くわけです。
 工場と娘をやるから、婿に入れというわけです。
 私は恥ずかしくて、お願いだからやめてほしいと祈っていました。
 鉄工所の仕事に興味なんてもてないし、相手の人に悪いと思ったからです。
 長く居ついた職人は、いませんでした。父の見込んだ人ほど、辞めていきましたね。
 …わたしですか?
 …そのころ…?
 小学生か、中学生ぐらいだったと思います。
 妹のアゲハは、そうした要求はされなかったようです。
 なぜでしょう。
 家を継ぐのは長子の役目だと、父は決めつけていたのかもしれません。
 母からは、最近しょっちゅう電話がかかってきます。なかなか出ずにいたら、ついに職場にまでかかってくるようになりました。
 内容は、実にささいなことなんです。
 おかずを作りすぎたので、帰りに寄りなさいとか。
 近所から野菜をもらったので、分けてあげる、とか。
 迷惑だなんていったら、ひどい娘だといわれるんでしょう。
 だけど、わたしはあの家に戻りたくなかった。
 奨学金を返しながらお金をためて、安アパートを探して。
 父母から冷たい視線を浴びながら、ひとりで引っ越しの準備をして。
 ようやくみつけた、わたしの居場所だったんです。
 いいですよ、ひとり暮らし。
 …ほっとします。
 肉を食べずに、すみますから。
 お豆腐、小魚、卵焼き。しあわせですよ、ほんとうに。
 ご飯に好きなものを乗せて、食べるんです。
 誰も、じゃましません。
 誰も、私に命令しません。
 さびしいかもしれないけど、自由ですから。
 母のおかずは…食べたくありません。
 高校のときのお弁当は、悲惨でした。今もおぼえています。
 白いご飯に、ヒレカツだけ。野菜は一切入っていないんです。
 それだけなら、どうにか食べたんですけれど。
 カツにかけたソースが、腐臭を放っていたんです。
 教室中の、注目を浴びましたね。
 わたしはあわてて、フタを閉じました。
 二度と、開けられません。
 そのあとの時間をどうやって過ごしたのか、おぼえていないんです…。
 …母ですか?
 証拠がないと、絶対に信用してくれないことはわかりきっていましたから。
 ふたたび腐臭をは放つ弁当を持たされる機会を、わたしは待ちわびました。
 さいわい母のレパートリーはごく少ないので、数日後には期待通りの状態の弁当が、私の手に入ったわけです。
 …母に匂いをかがせても、そんなわけはない、と言いはるんですよね。
 腐っているはずなんかない。カツは、ゆうべ揚げたんだから、と。
 たしかに、その通りなんです。
 母が調理をするところを、わたしもみましたから。
 …では、腐臭はどこからやってきたのでしょう。
 私は台所じゅうを目を皿のようにして探しまわり、とうとう証拠をみつけました。
 小さな携帯容器にいれられた、中濃ソース。常温で長く保管されたそれが、腐っていたんです。
 母は、笑いました。
 証拠をつきつけても、動じません。
 …なんなの、そんなことで。文句を言うなら、自分で弁当をつくればいいじゃないの。
 …たしかに、その通りなんです。
 わたしは、母に甘えていたんでしょうね。
 ……………。
 …そうだ。
 …最近になって、ようやくわかったんです。
 …わたしが、母に憎まれている理由を…。
 なにを言っても、嘘つきだと言われる原因が、ちゃんとあったんです。
 どんなにちゃんとした証拠をみせても、相手にされない理由が…。
 …一体、なんだと思われますか…?


元・二世信者 江藤綾香の証言

「『王国の夜明け』には、小さな頃から親につれられて集会に参加して、そのまま信者になる子供も多いんです。私たちは、二世と呼んでいますけれども。私はずっと、反発していましたね」
「それは、なぜでしょう」
「…信者は、小さな子供を布教活動につれてゆきたがります。おやつをくれたり、同情して話をきいてくれる人が多いからでしょう。私はほとんど、参加しませんでした。行った先が同級生のうちだったら、すぐに変な宗教の家だって広まりますから。クラスでそんなことを、話されたくないので。絶対、秘密にしてもらってました」
「お母さんひとりが活動を?」
「最初は、母ひとりでしたけど。あとから、父も入ったんです。…うちに来るんですよ、教団の上のほうの人が。最初は、普通の友達みたいな感じで。遊んだりキャンプしたりするわけですね。それからだんだん懐に入って、ターゲットに定めた相手を染めてゆくんです」
「あなたは、それをどう感じましたか」
「とにかく、嫌でした。変なふうにかわっていく父が。母が毎日泣くんですよ。あなたも綾香も入信してくれないなら、地獄行きだって。お願いだから、一緒に天国に行ける道を歩きましょう、って。…大っ嫌いでしたね。そういう母が。そして、母にそんなことを言わせる教団が」
「…あなたは、入信されなかったんですね」
「少しはかかわりましたけど、信者といえるほどの活動は、結局していませんね」
「あなたと、藤原アケヲさんのかかわりを教えてくださいませんか。…少ない接点でもかまいません。なにか、印象に残っている出来事はありませんか」
「…藤原さん…。…そうですね。あの人、かわってましたね」
「…というと?」
「普通は、家族の誰か――うちの場合は母ですけど――が入信して、周りに広めるパターンが多いんですね。藤原さんは、たったひとりで王国の夜明けに入ってきたんですよ」
「それは、珍しいんですか」
「…ええ、たぶん。そのとき彼女は、小学校高学年か中学一年くらいだったと思いますよ。おうちの人は、最初のうちこそ好意的だったみたいですけど。最後のほうでは、猛反対していましたね。お父さんに家を追いだされて逃げてきた彼女を、うちに泊めたことがあります」
「藤原アケヲさんの、入信のきっかけはなんだったんでしょう」
「布教活動、ですね。王国の夜明けの信者になると、家々を回って歩くのがほぼ義務になるんですけど。はじめて行く家なんかは、若い女性信者が担当させられます。相手を油断させて、懐に入るためだと思いますけど」
「江藤さんは、藤原アケヲさんの家を訪問したことは?」
「…一度か二度あったぐらい、でしょうか。それより印象に残っているのは、藤原さんのお友達の家を訪ねたことですね」
「…お友達、ですか。それは、布教活動のために?」
「いいえ、その反対なんです」
「反対、というと?」
「簡単にいうと、藤原アケヲさんを友達や家族から引き離すために、私たちは行動したんですね」
「…どういう、ことでしょう」
「…つまりですね。私たちは、教団の発行した書物だけを読むように言われます。それ以外の本や情報は、悪魔サタンの仕業で毒されている。だから、なるべく触れてはいけない。そう教えられます」
「――悪魔、ですか。…失礼ですが…それは、どなたが言われたのですか? おとなの方ですか?」
「教団組織内で、長老といわれる役職がありまして。布教活動に専念することが許された、特別な信者です。建前上はみなと同じ一信者ではありますが、かなりの権限をもっています。小教団の、リーダーのようなものでしょうか」
「その、長老が言われたのですか。…悪魔、と」
「…そうです。当時の私からすれば、立派な大人の男性に見えました。当時、四十代ぐらいだったと思います」
「…そうですか…。続けてください」
「私は藤原アケヲさんと、若い女性信者にかわって彼女を指導するようになった長老と、自転車で郊外に向かいました。一見、仲のよい親子連れのような感じでした。私はおやつに林檎をもっていて、長老は奥さんにつくってもらったおにぎりをもってきていたと思います。道のりはかなり遠かったので、帰りに休憩してそれを食べました」
「…それだけ伺うと、悪魔の仕業とは関係なさそうですね」
「…そうでしょうね。不思議なんです。私も、途中までピクニックみたいな感覚でいたんです。藤原さんがどう思っていたかは、わかりません。彼女は、道中ほとんど黙っていました」
「…藤原アケヲさんのお友達の家で、なにをしたんですか」
「お友達からもらったものを、返してくるようにと。長老の男性が藤原さんに言うんです。本にかぎらず、ぬいぐるみとかシールとか、ささいな物すべてですね。王国の夜明けに入信していない人間は、みな悪魔サタンの影響下におかれている。それら不浄な品々を、身のまわりから排除しなさい、というわけです」
「…なにか、思い出の品もあるんじゃないでしょうか? 手放したくないものも」
「…そうですね。私なら、友達にもらったものを返してくるなんて、嫌ですけど。だって、絶交宣言だと思われるでしょう。そんなことをしてたら、友達なんてひとりもいなくなりますよ。…実際、教団は信者以外とのつきあいを禁止してくるわけですが」
「藤原アケヲさんの様子は、どうでしたか」
「…そうですね。つらかったんじゃないかな。相手の子も笑顔でしたけど、泣きそうでしたもの。藤原さんは、表情がないんですけどね。ますます、黙りこくって。帰りはちょっと、いたたまれない空気でしたね…」
「…長老の男性は、そのときどうしていたんですか」
「――笑っていた、と思います」
「…え?」
「…あ、すみません。…適切じゃなかったかもしれません。…正確には、おだやかな笑顔の仮面の下で、ほくそ笑んでいるような感じかな。…気持ち悪かったので、おぼえています」
「…それは…。教団の指導者として、あまり適切とは思えませんが」
「…でも、そうなんです。でも、そのとき私は、これが正しいんだ、良いことなんだ、って必死に自分に言い聞かせていたと思います。長老にも、今日のピクニックはどうでした? なんて、いちいち感想を聞かれるんです。…嘘をついて、いかにもよろこびそうな言葉を返すのは、習い性でしたね。正しい答えを返すまで、許されないような雰囲気がありましたから」
「…信者みんなが、そういった試練を味わうものなんですか。踏み絵のように」
「…踏み絵というのは、当たっているでしょうね。…でも、私は思っていました。あれは、魔女狩りなんです」
「…魔女狩り?」
「…そのとき、藤原さんは試されていたと思うんですよ。そこまで犠牲を払っても、信者でいようとするなら、彼女の信仰はいよいよ本物だと。…友達や家族を捨てさせるのは、信仰の試金石といったらいいのか――邪魔な反対者を切り捨てるのも、とりこんで新しい信者を獲得するのも、教団にとってはメリットしかありませんから」
「…大変よくできたシステムだと思います。その機構は、たしかに犠牲者を必要としますね」
「…犠牲者、ですか…。私も、犠牲者のひとりです。あの教団にかかわった人間は、皆そうだと思いますけど。大半は監視がこわくて、嫌々やってるんです」
「…話を、少し戻してもいいですか。…藤原アケヲさんは、教団にとって魔女だったんでしょうか。悪魔だったんでしょうか」
「藤原さんは――みずから、魔女になったんだと思います」
「――え? 待ってください。それは、どういうことでしょうか」
「…彼女はかわった人だったと、最初にも言いましたが。ほんとうに、かわった子だったんです。まだ中学生なのに、教団の教義の矛盾点をいろいろと調べるわけです。それを質問状にして、教団の日本支部に送りつけたそうです。彼女はもう、私にも長老にも、誰にもなにも相談していなかったですね。いきなり行動にでたので、上部組織からそれを知らされた長老は、驚いていたと思います。もちろん、それだけではなくて。…私たちが住んでいたのは小さな田舎町ですけど、プロテスタント系の教会もあったんです。彼女は、そこにも通っていたらしいです」
「…藤原さんは、同時に二つの教会に、通っていたわけですか」
「…そうらしいです。『王国の夜明け』は、自らを教会とは呼びませんけれど。…彼女は、二つの教会の教理を比較して、キリスト教の矛盾点をあぶりだそうとしていたらしいんですね。ほんとうに正しいこととは、なにか。それを与えてくれる存在を、必死に探していたのかな――。結局、そんなものはみつからないし、探す必要さえないものだと、今の私は思いますが」
 藤原アケヲさんの教団内の立場は、その後どうなったのでしょう」
「――排斥、ですね」
「…排斥ですか。教団からでていくように、誰かにいわれるわけですか」
「…脱退勧告のようなものは、ないんですよ。あくまで、個人が自由意思で入信してくるのが前提ですから。…彼女がなにを言われたのかは、わかりません。…ただ、私が長老に言われたのは――」
 …藤原アケヲには、かかわるな。なぜならあれは――悪魔サタンに憑かれた者であるから。
 江藤綾香は、目を閉じた。
 その瞼の裏に、焔が躍る。
 …燃やせ。燃やせ、燃やせ――。
 …心を、燃やせ。
 …お前自身を、燃やしてしまえ――!
 …好きなものをとりあげられるのって、耐えがたいです。
 とりあげられるまでされなくても、友達と貸し借りしたマンガまでひやりとする視線で見られて。
 私を直接叱ってくれるなら、言い返すこともできるのに。
 父も母も、悲痛な顔をするんです。それから、うっすら笑って話しかけてくるの。
 …わたしたちは、綾香を信じてる。ずっと待ってるから。早く良い子に戻って、神の教えのすばらしさに気づいてね…、なんて。
 能面みたいな笑顔を、はりつけて。
 あの善人面、吐き気がしますよ。
 私、ずっと思っていました。一刻も早く、こんな家から出てやると。
 教団から離れてほしいと思っていましたけど、父も母も、変わりませんでしたから。
 高校を出て、就職してから出会った夫と結婚しました。ほとんど、逃げだすような感じですね。
 私はどうにか、逃げられたけど…。
 藤原さんは、どうなったんでしょうね。
 ときどき、思いだすんですよ。
 虚ろな表情をした、彼女のこと…。
 …好きな本を、自分で燃やしたって言ってましたね。彼女の家の、工場の敷地にある焼却炉で。
 教団は、自分で悪魔の書物を燃やすようにすすめてくるんです。自らの中の魔女を、火あぶりで処刑するみたいに。
 たくさん本を、燃やしたって…。
 藤原さんは、そう言ってましたね…。
 彼女を追い詰めたのは、それだけじゃなかった。
 家出して、私の家に一泊する事件があってからですかね。
 藤原さんの家は、ご両親の監視がきびしくなったみたいで。
 ベッドの下に本を隠しても、全部お母さんがみつけて、焼かせるんだそうです。
 教団の本を、お母さんに処分させられて。
 元々好きだった本やなんかは、長老の指示で処刑させられて…。
 せっかくもらったプレゼントも、返しに行かされて。友達もなくして。
 あとには、なにも残らなかったみたいです。
 好きなものは、ひとつも。
 ………………。
 …わたし……。
 …じぶんがだれか、わからなく、なるんだ……。
 ぽつんとそんなこと…、言ってましたね。
 私が藤原アケヲさんについて知っていることは、これで全部です。
 


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