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ビリになる勇気

秋は運動会シーズン。
noteでも運動会の話題を色々と目にするなかで、思い出したことがあります。

私は小学校中学年くらいから運動が苦手でした。
小学校高学年の頃には、明日が体育だと憂鬱で、学校行きたくないな…と思っていました。

運動会の徒競走、持久走などではビリになったこともあります。
基本的には真面目な方だったので、自分なりに一生懸命やっていたし、できればビリにはなりたくない。と思っていました。
でも、頑張っても、人と比べると遅い。

社会人になってからは運動音痴だからといって特に困ったことはありませんが、特に小中学校では、運動が不得意だとなかなかつらい思いをします。

皆が見ているなか、ビリなんて恥ずかしい。
ビリになりたい人なんて、多分ほとんどいないでしょう。

でもどうしても早く走れなかった自分は、ビリになることを受け入れる必要がありました。
そして、こう思うことにしました。

よし。この私が、ビリを引き受けよう。

徒競走のスタートを待つ時間、横並びの女子たちが不安げに、でもちょっと興奮しながら話します。

「私、足めっちゃ遅いから!」
「いや、私も遅いから!!」

その横で、私はもう静かな心でこう思っています。

「大丈夫、私がビリを引き受けるよ…」
(アルカイックスマイル)

そして、しっかり走って、ビリになるのでした。

私は体育の授業や運動会を通して、何かを達成する喜びみたいなものは、あまり得られませんでした。
でも代わりに、ビリになった人の気持ちがわかるようになりました。
(こんなふうに解釈できるようになるには、時間がかかりましたが…)

何かで一位になることが得難い経験であるのと同時に、
ビリになったことがある、というのも、実は貴重な経験ではないかと思っています。
だって、ビリがいるから、一位がいるのだから。

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