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私にとっての「書く」ということ。

本当はもう、毎日文章を書くのなんてやめよう、と思っていた。

もうずっと思っている。そこまでして書きたいことなんてない。毎日書きはじめて1週間くらいのころから思ってる。もう疲れた。

だから今日は何も書かないで、明日も何も書かないで、その次の日も何も書かないで、特に理由も言わずにしれっとフェードアウトしようと思っていたけど、どうもうまくいかない。何かを書きたくなるし、書かなければと思ってしまう。

どうやら私にとって「書く」ということは「生きる」ことと同義なのかもしれない。生きると書くと壮大で大袈裟で、あ、気持ち悪い。


だって、やめようやめようと思って本当にやめようと思っていたのに、やっぱりやめられないんだもの。

まるで生きるという行為ではないか。

自ら命を絶ちたいけれど、やっぱり勇気がなくて、死ぬほどではなくて、なんやかんや生きるということに執着している人みたいじゃないか。生きるということに執着している人もいないと思うけど。

私にとっての書くということは生きるということ、と書くと、ますますやめられなくなる気がする。

こんな文章、書かなきゃよかったなぁ。

<あとがき>
明日も書かなきゃならんのかい。あーめんどくさい、めんどくさい。とにかくめんどくさい。というわけで今日も最後までありがとうございました。

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