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私にとって考えるということ


今日は私にとっての考えるとはどういうことなのかを書いてみようと思う。


私は考えるのが好きだ。

(好きとはどういうことか。考えるとは何か。ということから考えてしまうのだけれど。)

(そして、今はこう言い切ったが、本当は好きと錯覚しているだけかもしれないとも思っている。)


苦しみとは何か。

考えるとは何か。

死とは何か。

生きるとはどんなか。

どんな風に生きるべきか。

私は私とどう向き合うべきか。

意識とは何か。

時間とは。

人生の価値とは。

価値とは。


こんな風に無限に疑問が出てきて、永遠に言葉の竜巻の中でグルグルと回ってしまう。

それが私にとって考えるということだ。


そして、これらの問いには簡単に答えが出ないものが多い。

これがまた私を惑わせる。

なぜなら、答えが出ないから永遠に考えなくちゃならなくなって苦しくなってしまう。



そう。私にとって考えるとは苦しいことなのだ。


一体、こんな考えるという存在とどうやって付き合っていけば良いというのだろう。




この考えることを放棄したい。


だけど、それは私を私でないようにするということとほぼ同義なのではないかと考えてしまう。


だから本当は考えていたい。そう思っている。



でも、考えることはこの上なく辛い。


考えたいと考えたくないの狭間で私は今日も葛藤している。


この答えはどうやったら出るのだろうか。

なんかいい方法はないのだろうか。


考えることを辞めれば苦しさはだいぶ楽になるんじゃないかと思う。


でも話はそう簡単には進まない。


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